2月16日(使徒言行録2章41〜47節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒2章41~47節 礼拝に生きる主の教会

 こうして彼(ペトロ)の言葉を受け入れた人々は洗礼を受けました。そこでその日、およそ三千の魂が加えられました。そして彼らは使徒たちの教えと分かち合い、パン裂きと祈りに励んでいました。そしてすべての魂に怖れが生じました。また使徒たちを通して不思議と様々なしるしが次々に為されていきました。そこで信じている者たちは、みなが同じところにいて、すべてのものを共有にして持ち続けていました。そして彼らは数々の財産や持ち物を次々に売り続けて、誰かが必要を持つのに応じて、それらのすべてを次々に分け与えていきました。来る日も来る日も神殿の中でひたすら心を一つにし、家ごとにパン裂きをし、喜びと真心をもって食べ物を分かち合い、神を賛美し続けていたので、民衆全体の前で好意を持たれていました。そこで主は救われる人々を彼らと一緒に日ごとに加え続けてくださいました。

 

 ペトロの説教によって新たに三千人が加えられた最初の教会は、「使徒たちの教えと分かち合い、パン裂きと祈り」に励みました。ここに教会のあるべき姿が現されています。「使徒たちの教え」とは聖書とその解き明かし、すなわち説教です。「分かち合い」とは相互の交わりのことですが、交わりとは同じ一つのものを分かち合うことであり、それはキリストご自身です。具体的には解き明かされたキリストの言葉(説教)を分かち合うことです。「パン裂き」とは聖餐のことで、そこでも一つのパンを分かち合うことでキリストにある交わりを造り上げていきます。「祈り」は公同の祈祷のことで、単に個々人の必要のために祈るだけではなく、教会に集う兄弟姉妹とその家族、教会の周りの人々を覚えて執り成し祈ることです。これらのすべては礼拝において具体化されます。礼拝において、「使徒の教え」である御言葉と説教が、「分かち合い」としての交わりと献金が、「パン裂き」としての聖餐が、そして公の「祈り」が献げられていきます。最初の教会は礼拝を忠実に守ると共に、それを熱心に遂行していきました。そのためそこでは常に神への賛美が溢れ、そのような彼らの喜ぶ姿を見て、周りの人々は彼らに好意を抱くと共に、さらにその中から多くの人々が日ごとに新しく加えられていきました。これが教会のあるべき姿です。わたしたちも「使徒たちの教えと分かち合い、パン裂きと祈り」に熱心に励んでいきましょう。