· 

12月22日(ルカ24章44〜53節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ24章44~53節 主イエスの祝福の中で〕

 そして彼(イエス)は彼ら(弟子たち)に対して言いました。「これらのことは、わたしがまだあなたがたと一緒にいたときにあなたがたに対して語ったわたしの言葉です。すなわちモーセの律法(の書)と預言者たち(の書)と詩編の中でわたしについて書かれていることはすべて必ず成就しなければならないということです。」それから彼は(彼らが)聖書を理解できるように彼らの心を開かれました。そして彼らに言いました。「このようにキリストは苦しみを受け、三日目に死人たちの中から起き上がらせ【よみがえらせ】られると(聖書には)書かれています。そして彼(キリスト)の名における罪の赦しに至る悔い改めがすべての諸国民に対して宣べ伝えられます。あなたがたはこれらのことの証人です。そして見なさい。わたしはわたしの父が約束された方をあなたがたの上に遣わします。しかしあなたがたはあなたがたがいと高きところから力を着せられるまで、都(エルサレム)の中に留まっていなさい。」

そこで彼は彼らをべタニアのところまで連れ出しました。そして彼は彼の両手を挙げて彼らを祝福しました。そして彼が彼らを祝福している間に、彼は彼らから離れて行き、天の中へと運び上げられ続けていくということが起きました。そこで彼らは彼を礼拝し、大きな喜びと共にエルサレムの中に戻って来ました。そして彼らはいつも神殿において神を賛美し続けていました。

*( )は原文にないが理解のために補った。【 】は別の訳。

 

 弟子たちを連れ出した主イエスは、彼らの見ている目の前で両手を広げた姿で天へと挙げられていきました。これは主イエスが弟子たちを祝福しながら天へと挙げられていったことを意味します。そしてこの祝福は、今も変わることなくわたしたちに注がれているのです。主イエスは天において、今も両手を挙げてわたしたちを祝福しながら、弱いわたしたちを執り成し祈ってくださっているのです。この一年間様々な出来事に直面したわたしたちでした。しかしそこで忘れてはならないことは、わたしたちは主イエスが両手を挙げてわたしたちを祝福してくださっている、その祝福の中で生きているということです。たとえ見えるところは災いに見える出来事も、不幸の連続であるかのように思える出来事も、究極的にはこの主イエスの祝福の中で為されていることです。そしてまたわたしたちが自分の無力さを知り、自分の情けなさを思い知る中にあっても主イエスの祝福は何一つ変わるものではありません。わたしたちは両手を挙げて祝福し、弱いわたしたちを父へと執り成し続けてくださる主イエスの祝福の祈りの中に包み込まれるようにして、毎日を生きています。この一年そこで経験し味わったことも、すべて主の祝福の中での出来事でしたそして新しい一年もすべては両手を挙げて祝福し、執り成し祈ってくださっている主の祝福の中で起こる出来事です。ですから希望を抱いて新しい一年へと進んでいきましょう。