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9月1日(ルカ22章45〜62節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ22章45~62節 弱い者に対する主の憐れみ〕

 そして彼は祈りから起き上がり、弟子たちのところに来ると、彼らが悲しみのあまり眠り込んでいるのを見出しました。それで彼は彼らに言いました。「なぜあなたがたは眠っているのですか。誘惑の中に入って行かないように、起き上がって祈り続けなさい。」

 しかし彼が話しているときに、見なさい、十二人の一人のユダが群衆の先頭を進み、イエスに近づいてきて彼に接吻しました。そこでイエスは彼に言いました。「ユダ、あなたは口づけで人の子を引き渡すのか。」しかし彼の周りにいた人々が起ころうとしていることを見て言いました。「主よ、剣で打ちましょうか。」そして彼らの一人が大祭司の僕を(剣で)打ちました。そして彼は彼の右の耳を切り落としました。しかしイエスは答えて言いました。「そこまでにしなさい。」そして耳に触れて彼を癒しました。そしてイエスは彼に向かってやってきた祭司長たちと神殿守衛長たちと長老たちに言いました。「あなたがたは強盗に向かうように剣と棒を持って出て来たのですか。わたしは日ごとに神殿の中であなたがたと共にいましたが、あなたがたはわたしに向かって手を伸ばしませんでした。しかしこれはあなたがたの時であり、闇の支配です。」

 さて人々は彼を逮捕し連行して、大祭司の屋敷の中に運び込みました。そこでペトロは遠くから(彼の後に)ついて行きました。人々はその真ん中で火をたいていたので、ペトロは彼らの中に一緒に座り込みました。すると火に向かって座っていた女中が彼を見て、彼を凝視して言いました。「この人も彼と一緒にいました。」しかし彼は否定して言いました。「わたしは彼を知りません。女の人。」そこでしばらくしてから別の人が彼を見て言いました。「お前も彼らからの者だ。」しかしペトロは言いました。「人よ、わたし(はそのような者)ではありません。」そしておよそ一時間経ってから別の人が強硬に言いました。「この人は彼と一緒にいた。彼もまたガリラヤ人だ。」しかしペトロは言いました。「人よ、あなたの言っていることが分かりません。」彼が話しているうちに、即座に鶏が鳴きました。そして主は振り返るとペトロを見つめました。そこでペトロは彼が彼に言った、「今日、鶏が鳴く前に、わたしを三度否定するでしょう」という主の言葉を思い出しました。そして外に出て激しく泣きました。

*( )は原文にないが理解のために補ったもの。

 

 主イエスの予告通りペトロは三度も主を否定してしまいます。三度とはただ回数のことを言っているだけではなく、三は完全数ですから、ペトロが主を完全に否定した、その否定は決定的なものだったことを明らかにします。マタイでは彼は呪いの言葉をもって知らないと誓ったとされています。情けないペトロ。あれだけ主から目を掛けられ、愛されていながら、土壇場で主を裏切ってしまいます。しかしよくよく考えてみると、このようにペトロが失敗してしまったのは、よせばいいのに捕えられた主の後を、のこのことついて行ったことの結果でした。死ぬ覚悟もできていますと大見得切った彼ですが、ペトロは彼なりに主について行き、主に従って行こうとしたのです。その結果この大失敗をしでかすのです。たしかにペトロは失敗しました。そしてそれは彼の弱さのゆえですが、同時に彼は彼なりに主につき従って行こうとした、その結果の失敗でした。他の弟子たちは失敗しませんでしたが、それは彼らが主の後について行こうとはせず、逃げてしまったからでした。わたしたちも同じ弱さの中にあり、同じ失敗をするのではないでしょうか。しかしそれがわたしたちなりに主について行こうとした結果であり、主に従おうとしたゆえであるなら主は赦してくださり、主に従おうとしながらも失敗することしかできない弱いわたしたちを憐れんでくださいます。わたしたちは主の赦しと憐れみの中に包まれているのです。