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7月28日(ルカ22章7〜20節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ22章7~20節  新しい契約としての主の晩餐〕

 さてパン種のない日(除酵祭)がやって来ました。過越の小羊を屠らなければならない日でした。そこで彼(イエス)はペトロとヨハネに「行って、過越(の食事)を食べることができるように、わたしたちのために用意しなさい」と言って、遣わしました。すると彼らは彼に言いました。「あなたは、どこで用意をすることを願っていますか。」そこで彼(イエス)は彼らに言いました。「見なさい。あなたがたが都(エルサレム)の中に入って行くと、水がめを担いだ人が(あなたがたに)出会うでしょう。彼が入って行く家の中まであなたがたはついて行き、中に入りなさい。そしてあなたがたはその家の主人に、「『わたしの弟子たちと共に過越(の食事)を食べるための部屋はどこにありますか』と、先生があなたに言っています」と言いなさい。するとその人はあなたがたに、備えられている大きな二階座敷を示して見せてくれるでしょう。あなたがたはそこで用意しなさい。」そこで彼らは出かけて行き、まさしく彼らに言われたとおりであるのを見ました。

 その時間が来たとき、彼(イエス)は食事の席に横になりました。そして使徒たちも彼と共に(食事の席に横になりました)。そして彼は彼らに向かって言いました。「わたしは自分が苦しみを受ける前に、この過越(の食事)をあなたがたと共に食べることを切望しました。なぜなら、わたしはあなたがたに言いますが、神の国においてそれ(過越)が成就されるまでは、わたしは決してそれ(過越の食事)を食べることがないからです。」そして杯を取ると感謝(の祈りを)してから言いました。「これ(杯)を取りなさい。そして自分たちのために分けなさい。わたしはあなたがたに言います。神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実からのものを飲みません。」そしてパンを取って感謝(の祈りを)してから裂きました。そして「これはあなたがたのために与えられるわたしの体です。わたしを想い起すためにこのことを行いなさい」と言いながら、彼らに与えました。食べた後に、同じように杯についても言われました。「この杯は、あなたがたのために注ぎ出されるわたしの血による新しい契約です。」

*( )は原文にないが理解のために補ったもの。

ローマ時代の正式の晩餐では、左側を下にして横になって食べることになっていました。

 

 わたしたちがあずかっている聖餐、正しくは主の晩餐は、過越の食事に由来するものです。主イエスは弟子たちとこの食事を共に食したいと願い、そしてその食事の席で聖餐を制定されました。過越の食事は、わたしたちの救いのために小羊の犠牲が必要であることを想起させます。そのように主イエスは、わたしたちの罪からの救いのために「世の罪を取り除く神の小羊」として、十字架にかかられました。聖餐はこのわたしたちのためのキリストの犠牲を想起し、この犠牲のゆえにわたしたちの罪は確かに贖われたこと、わたしたちの命は主イエスご自身であり、絶えず主に結びついて命を得る必要があること、そして主はいつもわたしたちと共にいて臨在してくださることを目に見える形で約束します。そしてこれによりエレミヤやエゼキエルが預言していた「新しい契約」が結ばれました。この契約の新しさは、わたしたち一人一人の心が新しくされて、心から主に服従する者に変えられるということにあります。そのために一人一人に聖霊が与えられることが約束されました。一人の救い主を共に信じ、その方をかたどる一つのパンを分け合って共に食べることによって、わたしたちは一つの交わりを造り上げていきます。そこに主との新しい交わりと、兄弟姉妹との交わりが形づくられていくことを求めていきたいと思います。聖餐にあずかるたびに、この契約を新しく更新し続けていく者とされていきたいと願います。