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6月2日(ルカ20章45節〜21章4節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ20章45節~21章4節 赤貧の寡婦の神への信頼〕

 そこで群衆すべてが聞いているところで彼(イエス)は弟子たちに言いました。「律法学者たちを警戒しなさい。彼らは長服で歩き、市場でのあいさつと会堂の最上席と宴会の最上席を好みます。彼らは寡婦の家を食い尽くし、見せかけるために長く祈ります。この者たちは厳しい裁きを受けるでしょう。」

 そして彼は目を上げて、金持ちたちが彼らの献げ物を献金箱の中に投げ入れているのを見ました。そしてある赤貧の寡婦が2レプタ投げ入れるのを見ました。そして言われました。「真実にわたしはあなたがたに言います。この貧しい寡婦はすべての人々よりも最も多く投げ入れました。なぜならこの人たちすべては、彼らにとってあり余っているものの中から投げ入れましたが、彼女は窮乏の中から持っている生活費のすべてを投げ入れたからです。」

*( )は原文にないが理解のために補ったもの。

 

主イエスは見栄えばかりを気にして中身のない律法学者たちと、誰からも目に留まることなく評価されることもない中で真実に善行を為した寡婦とを対比して語りました。外見は敬虔深く、信仰深く振る舞う律法学者たちの偽善をあばきつつ、それと比べて目立つことなくひそやかな寡婦の行為を明らかにされるのです。確かに彼女が献げたのは、そこで献げられた中で最少額だったでしょう。しかし主は彼女が「すべての人々よりも最も多く投げ入れ」たと語りました。なぜなら人々が「あり余っているものの中から投げ入れ」たのに対して、「彼女は窮乏の中から持っている生活費のすべてを投げ入れた」からでした。そもそもこの献金は貧しい人々に施しをするためのもので、彼女こそこの施しを受けるべき人でした。それにもかかわらず彼女が施しをしたのはどうしてでしょうか。聖書は何も語っていませんが、おそらく彼女は自分も貧しくて生活は苦しいけれど、もっと貧しくてつらい中にある人を思いやったのでしょう。そしてそうした自分よりも大変な人のために、自分のなけなしのお金を献金したのでした。しかもそれは彼女の生活費の全部でした。それでは彼女は明日からどうやって生活していくのでしょうか。彼女は明日の糧をくださる神を信頼して生活費を献げ、それによって自分自身をも献げていったのでした。彼女の善行の背後にはこのような神への信頼と信仰があるのです。わたしたちはいかがでしょうか。