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3月31日(ルカ19章45〜48節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ19章45~48節 強盗の巣を祈りの家に〕

 そして彼(イエス)が神殿の中に入って行くと、(物を)売っている者たちを(次々と)追い出し始めました。彼は彼らに言いました。「『わたしの家は祈りの家である』と(聖書に)書いてある。ところがあなたがたはそれを『強盗の巣』にしている。」

 そして彼は日ごとに神殿の中で教えていました。しかし祭司長たちと律法学者たち、そして民の指導者たちは懸命に彼を殺そうとしていました。しかし彼らはどうするか見つけられずにいました。なぜなら民衆はみな、彼の語っていることを聞くことに熱中していたからでした。

*( )は原文にないが理解のために補ったもの、〔 〕は別の訳。

 最初の引用はイザヤ56章7節、次の引用はエレミヤ7章11節。

 

エルサレムに入城された主は、腐敗し堕落した神殿の有様を見て憤り、義の怒りをもって神殿を粛正していかれました。外国人のための異邦人の庭は家畜を売る者たちや両替商が占拠し、犠牲のための家畜を購入し、貨幣を両替しようとする巡礼者たちと商売人たちの売り買いの声で騒然としていました。それに動物たちの鳴き声や糞尿の臭いが立ち込めて、およそ心を鎮めてそこで祈り、礼拝を献げるということとは程遠い情景が広がっていました。しかもそれらの犠牲の値段や貨幣の交換率は神殿の中と外では違い、法外な値段が吹っかけられていましたが、祭司と結託していたため、神殿内の法外に高い犠牲を買わなければ犠牲を献げることができないようになっていました。神殿での礼拝と祈りという真摯な宗教行為を隠れ蓑にした、真面目な巡礼者をカモにした強欲が神殿を渦巻いていました。主イエスは叫びました。「『わたしの家は祈りの家である』と書いてある。ところがあなたがたはそれを『強盗の巣』にしている」と。そしてこのような肉欲に満ちた神殿からすべての商人たちを追い出し、鳴き声で騒然とした境内から家畜たちを外に出されたのでした。しかしこれは二千年前の話でしょうか。今日のわたしたちの礼拝は大丈夫でしょうか。わたしたちの心は清いでしょうか。肉欲に満ちた心の礼拝を主は受け入れられません。まずはわたしたちの心が清められ、礼拝が純粋なものとなるように祈り求めましょう。