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2月10日(ルカ18章31〜34節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ18章31~34節 苦難の主について行く〕

 ところで彼(イエス)は十二人を連れて行って、彼らに向かって言いました。「見なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして人の子について預言者たちを通して書かれていたことのすべてが成し遂げられるでしょう。すなわち、彼は異邦人たちに引き渡されるでしょう。そしてあざけられ、乱暴な仕打ちを受け、つばを吐きかけられるでしょう。そして彼を鞭打ってから殺すでしょう。しかし彼は三日目によみがえらせられるでしょう。」しかし彼ら自身はこれらのことを何一つ分かりませんでした。なぜならこれらの言葉は彼らから隠されていたからでした。そして彼らは(主が)言われていることが分かりませんでした。

*( )は原文にないが説明のために付加したもの。

 

弟子たちに「わたしについて来なさい」と求められた主イエスは、この後向かうエルサレムでどのようなことが起こるかを予告されました。いよいよエルサレムでメシアを宣言し、神の敵を追い散らして神の国が建てられると思うと弟子たちの胸は高鳴りました。しかしそれに冷や水を浴びせるようにして、苦難の予告をされます。「彼は異邦人たちに引き渡されるでしょう。そしてあざけられ、乱暴な仕打ちを受け、つばを吐きかけられるでしょう。そして彼を鞭打ってから殺すでしょう。」弟子たちの誰一人としてこの苦難のメシアを想像する者はいませんでした。彼らも、また主イエスをホサナの声で歓呼して迎えた民衆も、彼に期待したのは栄光のメシアでした。その期待を裏切られると民衆は十字架につけろと叫び、弟子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていきました。主はやがてご自分に起こることを予告することによって、弟子たちがそれに備えられるようにされました。その時には分からなくても、後で悟り、理解し、信じることができるように。それは偶発的に起きた出来事ではなくて聖書が何百年も前から預言し、予告してきた出来事であるということを。栄光のメシアは受難のメシアです。受難を経て栄光へと入られます。その主に従う者たちにも苦難を忍ぶ覚悟が求められます。苦難を経てもなお「わたしについて来なさい」と求められます。わたしたちはこの呼びかけにどのように応えていくでしょうか。