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4月7日(ルカ20章1〜8節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ20章1~8節 天からの権威を持たれた方〕

 そして日々の一つにおいて彼(イエス)が神殿で民衆を教え、福音を宣べ伝えていたときに起こったことですが、祭司長たちと律法学者たちが長老たちと共に(主イエスの)そばに近づいて来て、彼に向かって言いながら話しました。「わたしたちに言いなさい。お前はどんな権威でこれらのことをしているのか。あるいはお前にその権威を与えたのは誰か。」そこで彼(イエス)は彼らに向かって答えました。「わたしもあなたがたに尋ねたい。ヨハネの洗礼は天からのものか、それとも人間からのものか、言いなさい。」

 しかし彼らは自分たちに向かって言いながら、論じ合いました。「もしわたしたちが天からと言ったら、彼はどうして彼(ヨハネ)を信じなかったのかと言うだろう。人間からと言ったら、すべての民衆がわたしたちに石を投げて殺すだろう。なぜなら彼らはヨハネが預言者であると確信しているのだから。」そこで彼らは「どこからかは知らない」と答えました。するとイエスは彼らに言いました。「これらのことをどの権威においてわたしがしているのかは、わたしもあなたがたに言わない。」

*( )は原文にないが理解のために補ったもの、〔 〕は別の訳。

 

腐敗し堕落した神殿を粛正した主に対して、当時の宗教指導者たちが一体何の権威でこのようなことをするのかと問いかけてきました。これは単に権威の拠り所を問うだけではなく、そもそも主イエスとはどのような方かを問うものでもありました。主はご自分の権威が神からのものであること、だから御自身が神の子であることを明らかにされました。ところがその神の権威によって来られた方は、子ろばに乗って入城されることによって、人々が求めた権威とはまるで違うことを明らかにされました。それは「民を支配し、民の上に権力を振るう」権威ではなくて、「一番若い者のようになり、仕える者のようになる」ことでした。そして「仕えられるためではなく仕えるために」来た方でした。人間が最初に犯した罪、それは自分が「神のように」なることでした。それ以来人間はつねに高慢の罪に毒されるようになりました。人々に自分の権威を認めさせ、人と優劣を比較して少しでも優位に立とうとし、下位の者を見下すことで己を高くして生きています。そうしたわたしたちに主が求められたのは、「一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい」、「あなたがたのうちで一番偉い人は、仕える者になりなさい」いうことでした。そしてそのようにわたしたちに問いかける主御自身がわたしたちの僕となり、仕える者として、今もへりくだって仕えてくださっています。わたしたちはこの方を一体誰だと告白するでしょうか。