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2月24日(ルカ19章1〜10節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ19章1~10節 ありのまま受け入れられる〕

 さて彼(イエス)はエリコに入って行き、通り過ぎていきました。すると見なさい、ザカリオスという名で呼ばれている男が(いました)。そして彼は徴税人頭で、彼自身お金持ちでした。そして彼はイエスがどんなかを見ようと懸命に試みましたが、群衆のために(見ることが)できないでいました。なぜなら彼は身長が低かったからでした。そこで前の方に走って行って、彼(イエス)を見ようといちじく桑の木に登りました。彼(イエス)がそこを通り過ぎようとしていたからでした。そして彼(ザカリオス)がその場所の上に来たとき、イエスが上を見上げながら、彼(ザカリオス)に向かって言いました。「ザカリオス、急いで降りて来なさい。なぜなら今日、わたしはあなたの家に泊まらなければならないからだ。」そこで彼(ザカリオス)は急いで降りて来ました。そして喜びながら彼(イエス)を客としてもてなしました。

 しかし(それを)見たすべての人々はぶつぶつとつぶやきながら、「彼(イエス)は罪人のところに泊まるために(彼の家に)入って行った」と言いました。一方ザカリオスは立って主に向かって言いました。「ご覧ください。わたしはわたしの所有物の半分を、主よ、貧しい人々に与えます。また誰かからゆすり取ったものがあったら、四倍にして返します。」そこでイエスは彼に向かって言いました。「今日救いがこの家に起こりました。なぜなら、彼もまたアブラハムの子孫だからです。人の子は滅び〔失われ〕てしまった人を捜し出して救うために来たのですから。」

*( )は原文にないが理解のために補ったもの、〔 〕は別の訳。

 

「降りて来なさい」、この主イエスの一言がザアカイを変えていきます。これまでの彼は、胸を反り上げて少しでも自分を高く、大きく見せようとする、見栄を張り、虚勢を張って背伸びをした人生でした。少しでも人より優位に立って、人を見おろし、見下して生きることに執着した人生でした。けれども降りて来たとき、彼と主との関係は逆転しました。上から主を見おろしていた彼は、今度は彼が主から見下ろされることになります。しかしそこで彼は、少しも卑屈さ、劣等感を感じることがありませんでした。木から降りて来た彼は、本来の自分、背が低く小さい自分に戻されたわけですが、しかし主から見おろされているとは思わず、主が自分と同じ地平に立ってくださっていることを覚えました。もう背伸びをして生きる必要はない、胸を反り上げて人より高く、大きく見せようと見栄を張り、虚勢を張る必要もない、ありのままの自分が受け入れられ、受けとめられていることを覚え、そのままの自分で生きていける人生へと変えられていったのです。主の方がわたしたちの許へと近づき、同じ地平に立ってありのままのわたしたちを受け入れてくださった、この憐れみがわたしたちをも変えていきます。あいかわらず背が低く、みじめでぶざまな自分を飾り立てる必要も、見栄えよく虚勢を張る必要もない、みじめでぶざまなままの自分をそのまま受け入れ、愛してくださる主の愛が、わたしたちを立たせていくのです。