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2月3日(ルカ18章24〜30節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ182430節 天に富を積み、神の前に富む〕

 そこでイエスは彼(金持ちの青年)を見て、深く悲しんで言いました。「富を持つ人々が神の国の中に入ることは、なんと難しいことか。実に金持ちが神の国の中に入ることよりも、らくだが針の穴を通る方がはるかに容易です。そこで(この言葉を)聞いた人々が言いました。「それでは、だれが救われるのでしょうか。」そこで彼(イエス)は答えました。「人間にとってはできないことも神にとってはできるのです。」するとペトロが言いました。「見てください。わたしたちは自分たちのものを棄てて、あなたについて来ました。」そこで彼は彼らに言いました。「本当にわたしはあなたがたに言います。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを棄てた人で、この時代において幾倍かを返してもらわない人、そして来ようとしている世において永遠の命を受けない人は、一人もいません。」

*( )は原文にないが説明のために付加したもの。

 

「あなたが持っているものをすべて売り、貧しい人々に分け与えなさい。すると天に財産を持つでしょう。そしてわたしについて来なさい」と求められた指導者は、それを聞いて悲しみながら主イエスの許を去って行きました。貪りの心から解放されず、地上の富を手放すことができない彼を主も悲しみつつ、金持ちが神の国に入るのは何と難しいことかと嘆かれました。そこですかさずペトロが「見てください。わたしたちは自分たちのものを棄てて、あなたについて来ました」と言います。マタイではその後で、それでは何をいただけますかと問うています。しかしペトロは「地上の富を手放す」ことの意味を理解していません。彼がこれまで自分が持っていた物を棄てたのは、その後でもっと素晴らしい天の富を得ることができるようになるためで、本当の意味で棄ててはいませんでした。ただ地上の富と天の富を交換しただけで、天の富を得るために地上の富を棄てただけでした。これは主イエスが求められることとは違います。地上の富を捨てるとは、その所有権を一切放棄することです。全部を神にお返ししてしまうことです。そうして本当に神にすべてをお返しした者には、神が豊かに報いてくださることが約束されますが、それはどこまでも神の恵みに基づくことです。富をギブ・アンド・テイクの関係で考えている限り、わたしたちは貪りから解放されません。真実に神の前に富む者とされていきたいと願います。