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1月20日(ルカ18章15〜17節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ18章15~17節 小さい者への神の憐れみ〕

 さて人々は彼(イエス)の所に彼らの幼子たちを次々と連れて来ました。彼にさわって(祝福して)もらうためでした。ところが弟子たちは彼らを見ると、しかり続けました。そこでイエスは彼らを呼び寄せて言いました。「幼子たちがわたしに向かって来るのを許してあげなさい。彼らを邪魔するのはやめなさい。なぜなら、神の国はこのような者たちのものだからです。」*( )は原文にないが説明のために付加したもの。

 

主の祝福を受けたいと子供たちが主の許に連れられてきましたが、弟子たちはそれを妨げました。それを見た主は、子供たちが自分の許に来ることを妨げるなと叱りました。このテキストは親が自分の子供を主イエスの許に連れて行くことを勧める、いわば信仰教育を勧める個所と理解するなら半分しか理解していないことになります。子供に代表される「小さい者」に対する関わり方が教えられている箇所なのです。「小さい者」とはどのような人のことでしょうか。あなたにとって「小さい」人のことです。つまりあなたにとってはどうでもいい人。何のメリットももたらさない無益な人。無価値な人のことです。いやむしろあなたに害を及ぼしかねない嫌な人。悪口や意地悪をしてくるあなたを嫌っている人のことでもあります。そういう人に対してあなたはどのような態度で接しているかが問われているのです。逆の立場で考えてみてください。この人たちは、居ても居なくてもどうでもよいと見なされて軽んじられ、侮られ、卑しめられ、貶められ、無視されて生きている人たちです。重きをなすことも、発言が考慮されることもなく疎んじられている人たちです。そのような人に対してあなたはどのように接しているかが問われます。主イエスの眼差しはそのような「小さい者」に注がれています。そしてそのような人をご自分に接するように関わって欲しいと主は求められるのです。「主に対するように行いなさい」と。