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11月25日(ルカ17章20〜21節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ172021節 神の国はあなたがたの間〕

 さて、彼(イエス)がファリサイ派の人々によって、「神の国〔支配・領域〕はいつ来るのですか」と尋ねられたとき、彼は彼らに答えて言いました。「神の国〔支配・領域〕は観察できるようには来ません。また『見なさい。ここに(ある)』、あるいは『そこに(ある)』というように(来るの)ではありません。しかし見なさい。神の国〔支配・領域〕はあなたがたの只中〔内側・間〕にあります。」〔 〕は別訳、( )は補遺

 

「神の国」は主イエスの福音の中心主題です。「国」と訳される言葉は、「支配」とか「(支配)領域」を意味する言葉で、そこでは神の統御が完全に実現している領域を指します。つまり神の御心が完全に実現している領域です。わたしたちはその実現を求めて主の祈りの中で、「御国が来ますように、御心が天で行われるごとく地でも行われますように」と祈ります。しかし国というのは場所に固定されているものですから、国がこちらにやって来るとはどういうことでしょうか。もし自分が独裁国家に支配され、圧政の中で搾取されて呻吟しているとしたらどうでしょうか。あるいは投獄されて牢につながれているとしたら。隣国の民主的な国が侵攻して独裁国家を倒し、圧政から解放されることを願うでしょう。牢から解き放たれることを願うでしょう。そのように神の国、つまり神の恵みの支配が広げられてきて、今自分が置かれている場所にまで及ぼされ、神の恵みの領域の中に入れられることを願うということです。なぜならわたしたちは苦しみや悲しみにおしひしがれ、苦難や問題に苦しめられているからです。そしてそこからわたしたちは自分の力では抜け出すことができないからです。だから神の方からわたしの所に来てください。わたしの所まで来て、わたしをあなたの恵みの中に招き入れてくださいと祈るのです。そしてさらにはその恵みの支配が、わたしとあの人、この人との「間」にも実現することを願うのです。