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9月9日(ルカ17章1〜3節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ17章1~3節a 小さい者に対する神の慈しみ〕

 また彼(イエス)は彼の弟子たちに向かって言いました。「もろもろの躓きがやって来ないということは不可能〔ありえないこと〕です。しかしその媒介となって人に躓きをもたらす者は災いです。これらの小さい者の一人に罪を犯させる原因となるよりは、ひき臼の石が彼の首のまわりにゆわえつけられて、彼が海の中に放り投げられてしまったら、その方がその人にとって益です。あなたがたは自分自身に注意しなさい。」

 

主イエスは躓きは避けられないとした上で、「これらの小さい者の一人に罪を犯させる原因となるよりは、ひき臼の石が彼の首のまわりにゆわえつけられて、彼が海の中に放り投げられてしまったら、その方がその人にとって益です」と話されました。ずいぶんと乱暴な話ではありますが、逆にそれほど「小さい者」に躓きを与えることがどれほど大きな罪であるかを、わたしたちに理解させようとしておられるのではないでしょうか。わたしたちは意図的に人に躓きを与えるようなことはしないでしょうが、結果としてそうなってしまうことはあります。しかしそれが「小さい者」に対するものである場合には、それほど深刻に考えず、軽く考えてしまいます。しかし主イエスにとってはそれはとても大きな事だというのが、ここでの主イエスの言葉の意味なのです。「小さい者」とは誰のことでしょうか。あなたにとって小さい人、どうでもいいと思っている存在が小さな人のことです。しかしあなたにとってはその人は「小さい者」であったとしても、主イエスにとっては、ご自分の命に代えても救い出すに値する大切な存在なのです。あなたにとっての「小さい者」とは誰のことでしょうか。そしてそれと同時にそもそも「小さな者」とは自分自身のことではないかと見つめ直す必要があります。神はわたしたちに、「わたしの目にあなたは高価で尊い」と呼びかけてくださいます。この恵みの中にいることを覚えたいと思います。