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8月12日(ルカ16章18節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ1618節 主の赦しの中での平安〕

自分の妻を離婚して、他(の女性)と結婚している者はすべて、姦淫を犯しています。また夫から離婚させられてしまった人と結婚する人も姦淫を犯しています。

 

主イエスは「自分の妻を離婚して、他と結婚している者はすべて、姦淫を犯しています。また夫から離婚させられてしまった人と結婚する人も姦淫を犯していますと語られました。これを離婚を禁止するもの、離婚は姦淫だと断罪する言葉と単純に理解してはなりません。まずこの言葉は女性にではなく男性だけに向けられた言葉でした。なぜなら女性に離婚する権利は与えられておらず、離婚権は男性しか持っていなかったからです。離婚するとしたら、それは夫からの申し立てによってで、しかもその離婚の根拠は、「妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなった」らというものでした。そこでこの規定は夫が好きなように解釈し、適用することができました。たまたま通りで見かけた女性と結婚したいと思ったら、妻と離縁してその女性と結婚することができました。こんな恣意的で身勝手な理由で妻は離縁されたのであり、女性は非常に不安定であやうい状態に置かれていました。しかもそうやって家を追い出されたら、生活の手段を持たない女性は飢えて死ぬしかありませんでした。このような危機的な状態に置かれている女性を守り、保護するために、つまり夫の身勝手な理由で離婚されることがないように主は語られたのです。姦淫は罪です。しかし過ちを犯すことしかできない弱さをわたしたちは持っています。その中で弱さに陥った人を裁くのではなく、理解していく愛を教えられていきたいと願います。