7月22日(ルカ16章10〜13節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ16章1013節 神と富のどちらに仕えるか〕

 最も小さいことにおいて信頼できる〔忠実な・誠実な〕人は多くのことにおいても信頼できる〔忠実な・誠実な〕人です。しかし最も小さいことにおいて信頼できない〔不忠実な・不誠実な〕人は多くのことにおいても信頼できない〔不忠実な・不誠実な〕人です。したがってもしあなたが不正な富において信頼できない〔不忠実な・不誠実な〕人であるなら、だれがあなたがたに真実なものを委ねる〔任せる〕でしょうか。またもしあなたがたが他の人の物において信頼できる〔忠実な・誠実な〕人でないなら、だれがあなたがたにあなたがたの物を与えるでしょうか。家内奴隷で二人の主人に仕えることができる者はいません。というのは、彼は一方を憎んで他方を愛するか、あるいは一方の側について他方を軽んじるでしょう。あなたがたは神に仕え、富〔マモン〕に仕えることはできません。

*〔 〕は別の訳。

  

 主イエスは「二人の主人に仕えることができる者はいません。あなたがたは神に仕え、富に仕えることはできません」と断言されます。ここで富と訳した言葉はマモンです。マモニズムが拝金主義を表すように、お金に象徴される地上の繁栄と成功を追い求める生き方です。気をつけないと、唯一のまことの神を信じているわたしたちもいつの間にかマモン信仰に生きている、マモンを神とした生き方をしているということがあります。富自体は神からの祝福であり恵みです。ところがわたしたちは、その神から与えられた祝福ばかりを切に求めて、地上の成功や繁栄ばかりを追い求めるようになってしまうことがあります。神の祝福が神そのものに成り代わり、地上の祝福を祈り願うようになるのです。その時、神はわたしたちにとって、もはや神ではなく、わたしたちに祝福をもたらす自分の僕にしています。神とは、自分に祝福をもたらし、自分の願望を実現してくれるコンビニエンスストアと化していきます。イスラエルの民が、自分たちは唯一のまことの神を拝んでいるつもりで、それを金の子牛像に造り上げ、祭り上げていったように、まことの神をも偶像としてしまうのです。自分たちはイスラエルの神を礼拝しているつもりで、いつの間にかそれが偶像、つまりマモンと化してしまっていることはないでしょうか。わたしたちは神とマモンの両方に仕えることはできません。あなたはどちらを拝んでいるでしょうか。