4月15日(ルカ14章25〜27節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ142527節 主イエスの後に従う者〕

 さて多くの群衆が彼(イエス)と一緒に旅をし続けていました。そこで彼は振り向いて彼らに向かって言いました。「もし誰かわたしのもとに来る人がいても、自分自身の父と母と妻と子どもたちと兄弟たちを(憎まないなら)、さらに同じように自分の魂〔命〕さえも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。自分の十字架を背負い続けて、わたしの後について来ない人は、誰もわたしの弟子になることはできません。」

( )は原文にはないが説明の付加した言葉。〔 〕は別の訳。

 

 ここで主イエスは厳しい言葉を投げかけられました。「もし誰かわたしのもとに来る人がいても、自分自身の父と母と妻と子どもたちと兄弟たちを、さらに同じように自分の魂さえも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。」安易な気持ちでついて来る人たちに冷や水をかけるに十分な言葉でした。しかしそれにして自分の家族を憎めとはずいぶんと厳しい言葉ではないでしょうか。実は主イエスが話されたのはヘブル語と親せき関係にあるアラム語です。そしてそのヘブル語では憎むとは、より少なく愛するという言葉です。憎むという積極的な悪感情ではなくて、愛の大小、愛の優先順位が問われているのです。家族を愛することが否定されているのではありません。しかしその家族に対する愛は主を愛する愛にまさってはならないと求められているのです。むしろ主を愛する愛から家族をも愛する者とされていくのだと。しかし現実にはその家族さえも愛することができない状況もあります。だから続けて主は「自分の十字架を背負い続けて、わたしの後について来ない人は、誰もわたしの弟子になることはできません」とも言われたのでした。その十字架とは愛することが困難なあの人のことかもしれません。針のむしろのような職場環境かもしれません。自分の時間を奪い去っていく家族のための介護や世話かもしれません。しかしその十字架を担ってそれぞれに主イエスの後につき従って行きたいと願います。