1月21日(ルカ13章21〜31節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ132130節 狭い戸口から入りなさい〕

 そして彼(イエス)は町々村々ごとに教えながら巡り歩き、エルサレムへの旅をしておられました。ところがある人が彼に言いました。「主よ、救われる人々はわずかなのでしょうか。」そこで彼(イエス)は彼らに向かって言われました。「あなたがたは狭い戸口を通って入って来るように懸命に努力しなさい。わたしはあなたがたに言いますが、多くの人々が懸命に入ろうとするでしょうが、(入ることが)できないでしょう。家の主人が立ち上がって、戸口を閉めてしまった後では、戸口の外に立ったまま『主よ、わたしたちのために(戸口を)開けてください』と(戸口を)叩き続けながら言うでしょうが、彼(家の主人)は、『わたしはあなたがたがどこからの人たちであるかを知らない』と言うでしょう。そのときあなたがたは、『わたしたちはあなたの前で(=一緒に)食べましたし、飲みました。そしてあなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました。』しかし彼(家の主人)はあなたがたに、『わたしはあなたがたがどこからの人たちであるかを知らない。不義の働き人たちのすべてよ、わたしから離れなさい』と言うでしょう。そしてあなたがたは、アブラハムとイサクとヤコブと預言者たちのすべてが神の王国の中にいるのを見るとき、しかしあなたがたは外へと投げ出されるとき、あなたがたは泣き、歯ぎしりすることでしょう。東と西と北と南から(人々が)来るでしょう。そして神の王国の中で横になる〔宴会の席に着く〕でしょう。しかし見なさい。あなたがたで最後の者が最初の者となり、また最初の者が最後の者となるでしょう。」

*( )は原文にはないが説明のために付加した言葉。〔 〕は別の訳。

 

 主イエスは「狭い戸口を通って入って来る」ようにと語りました。その戸口とは、天国の入り口です。どうしてそれは狭いのでしょうか。どうしてもっと広くして、誰でも入れるようにしてくださらないのでしょうか。それでは意地悪ではないでしょうか。実はその入り口が狭いのは、神が狭くしているというのではなく、わたしたちがそうしているのです。入り口が狭ければ、頭を下げて、はいつくばるようにしてでなければ入れません。頭をそり上げて、胸を張ってでは入ることができないのです。そのように天国は、高慢なまま、自分に自信をもったまま入ることはできません。むしろ自分の弱さと罪を認めて、神の前に謙虚になり、頭を下げてへりくだり、心から悔い改めてでないと入れません。天国がどんな人も入れる場所だとしたら、つまり自我とエゴに凝り固まったまま、罪を解決しないまま、傲慢な人が入れるとしたら、そこは地獄と化してしまうのではないでしょうか。そうではなく心から悔い改めて、へりくだって神と共に歩む人だけが入ることができる場所です。そこでは地上での身分も地位も名誉も財産も職業も才能も何も関係ありません。皆が神の前で平等であり、互いに高め合い、互いを喜び合える愛の世界です。ねたむこともうらやむこともなくなる平和な世界です。そこに入るためには、へりくだって心から悔い改める必要があります。今、主の招きに応えて、あなたも狭い戸口から入ってください。