11月26日(ルカ13章10〜17節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ131017節 神の安息にあずかる喜びの日〕

 彼(イエス)は安息日に、諸会堂の一つの(会堂の)中で教えていました。すると見なさい。18年も病気の霊をずっと持っている女性が(いました)。彼女はずっと腰が曲がったままで、まっすぐに伸ばすことがまったくできないでいました。ところがイエスが彼女を見て、呼び寄せられました。そして彼女に「婦人よ、あなたはあなたの病気からすっかり解放されています」と言いました。そして彼女の上に両手を置くと、たちまちまっすぐに伸ばすようになり、神をあがめました。

 ところが会堂長は腹を立てながら答えました。なぜなら安息日にイエスがいやしたからでした。彼は群衆に、「働かなければならない日は六日ある。だからそれらの日の内に来て、いやしてもらいなさい。しかし安息日は(そうしては)いけない」と言いました。するとイエスは彼に答えて言いました。「偽善者たち!安息日でもあなたがたはそれぞれに自分の牛やろばを家畜小屋から解き放ち、(水を)飲ませに連れて行くのではないか。この女はアブラハムの娘であるのに、見なさい、18年もサタンが縛りつけていた。安息日にこの鎖から解放されるべきではないのか。」彼がこのように言ったとき、彼に反対していた人々は皆、恥じ入りました。そして群衆は皆、彼によって為されたすべての輝かしい業のことを喜びました。

*( )は原文にはないが説明のために付加した言葉。

 

 18年も腰が曲がったままの女性を主イエスはいやされました。ところがいやされた彼女の喜びをよそに、それを苦々しく見ていた人々がいました。それは彼女と同じ会堂に集う村人たちであり、彼女が生まれ育った村の人々で、彼女の苦境をずっと知っていた人々でした。それにもかかわらず、18年も苦しみ続けてきた彼女に対して冷淡でした。そしてそれが安息日だったために、腹を立てた会堂長は病気の治療は安息日にしてはならないと申し渡しました。それに対して主は、安息日だからこそ彼女が病気をもたらすサタンから解放され、いやされるべきだと主張されました。ここで安息日とは何の日かが深く問い直されることになります。当時の人々は、律法の規定で安息日はいっさい仕事をしてならないと定められていました。そして病気の治療もそれに当てはまりました。しかし神が安息日を定めたのは、ただ何も仕事をしてはならないという規則としてではなく、普段の日常業務から解放されることで神の安息にあずかるようにさせることが目的でした。神はご自分の安息を完成するために今も働いておられます。安息日だからこそ悪霊から解放され、病気がいやされるのはふさわしい日です。わたしたちも習慣的に日曜礼拝を守るのではなく、また義務感からそうするのでもなく、日常生活の様々な桎梏から解放されて、心の腰が伸ばされ、心からの自由と解放を味わう日として、安息日を守っていきたいと思います。