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11月5日(ルカ13章6〜9節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ13章6~9節 実を結ばない者への主の憐れみ〕

 そこで彼(イエス)はこの譬を言いました。「ある人が彼のぶどう園の中に植えられていたいちじくの木を持っていました。そして彼はそれに実を探すためにやって来ました。しかし彼は見つけませんでした。そこで彼はぶどう園の園丁に向かって言いました。『見なさい。わたしは三年間、このいちじくの木の中に実を探すためにやって来た。しかし(今もなお)見つけていない。だからこれを切り倒しなさい。どうしてこれ(いちじくの木)は土地を無駄にしている〔遊ばせている〕のか。』しかし彼(園丁)は彼(主人)に答えて言いました。『主よ、わたしがこれのまわりを掘り、そして肥料を投げ込むまで、この年(一年)もこれをそのままにしてください。それでもし実を結ぶなら(それでよいでしょう)。しかしもしそうでなかったら、あなたはこれを切り倒すでしょう。』」

*( )は原文にはないが説明のために付加した言葉。

 

 主イエスは「実を結ばないいちじくの木」の譬を話されました。ぶどう園に植えられたこの木は、まわりのぶどうの木がたわわに実を結び、収穫を与えているのに対して、3年待っても実を結ぶことがなく、場所をふさぎ、肥料と水を無駄に費やすだけの存在でした。主人はこの役立たずの木を切り倒すように命じます。ところがそこで園丁は思いもよらないことを語ります。もう一年待ってください、肥料をやってみます。他にも手を尽くしてみます。そうしたら実を結ぶようになるかもしれませんと懇願するのです。実を結ばないいちじくの木、それは誰でしょうか。わたしたちは日々の歩みの中でどのような実を結んでいるでしょうか。もし何の実も結んでいないか、結んでも期待外れの実しか結んでいないとしたら、このいちじくの木と同じく切り倒されることになります。すでに斧は木の根元に置かれていて、切り倒すためにすぐにでも振り下ろされようとしています。しかし、そうして実を結ばない木は切り倒せと命じる主人の前に立ちはだかって、身を盾にして実を結ばない木をかばい、守り、執り成す方がおられるのです。もう少し待ってください。わたしがもっと努力してみますからと、必死に執り成してくださる方がおられる、その方の執り成しによってわたしたちは今日も守られているのです。ご自分を犠牲にしてもかばってくださる、この方の愛に出会い、わたしたちも愛の実を結ぶ者とされていきましょう。