10月8日(ルカ12章54〜59節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ125459節 時を見分ける〕

 そして彼(イエス)は群衆に対しても語りました。「あなたがたは雲が西に向かって上がってくるのを見ると、『すぐににわか雨が来る』と言います。そしてそのようになります。また南風が吹いていると、『猛暑になる』と言います。そしてそうなります。偽善者たち、あなたがたは地と空の模様は識別することを知っています。しかしどうしてこの時を識別することを知らないのですか。そしてどうして自分自身から正しいことが何かを判断しないのですか。あなたがあなたの告訴人と一緒に裁判官の所に行く時には、彼(告訴人)があなたを裁判官の所に強制的に引き出すことがないように、その道の間に彼(告訴人)から放免されるように努力しなさい。さもないと裁判官はあなたを獄吏に引き渡します。そして獄吏はあなたを牢獄に投げ込むでしょう。わたしはあなたに言います。あなたは最後のレプトン銅貨を支払うまでは、決してそこから出ることはないでしょう。」

*( )は原文にはないが説明のために付加した言葉。

 レプトン銅貨はローマの通貨で1デナリオン(一日の労働賃金分)の1/128

1デナリオンを1万円とすれば約78円、当時流通していた貨幣の最小通貨。

 

 天気や世の情勢には敏感で詳しいのに、今がどのような時代かをわきまえようとしない人々に主は警告されました。近年の世界情勢を見ると世の終わりが近いことを思わせられます。そして日々の生活の問題に心煩わせているわたしたちに、自分たちが今どのような時代に生きているのかに思いを向けるようにと主は促されます。たしかに世の終わりは近いです。しかしそうして世の終わりを心配する以前に、自分の終わり、つまり死に備えているかどうかが問われます。「人間はただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」とあるように、わたしたちはただ死ぬだけではなく、生前の言動について主の前に立たされて死後に裁きを受けることになります。そこでは名目上の信仰者は排除され、「父の御心を行った者」だけが天の国に迎え入れられます。そこでは生前の働きの大きさではなく、御心に忠実だったかどうかが問われます。大きな業を果したかではなく、小さな働きに対して忠実だったかが問われます。最後の審判に備えるというのは何か特殊なことではなく、自分に与えられた日々の生活の中で忠実に主の御心を果していこうとする毎日の生活の積み重ねのことです。そうして父の御心を行う者に対しては、「忠実な良い僕だ。よくやった」とのお褒めの言葉をいただけるのです。「怠け者の悪い僕」と言われないように、自分に委ねられている働きに日々忠実に、熱心に取り組んでいきたいと思います。