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9月24日(ルカ12章41〜48節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ124148節 忠実で賢い管理人に〕

 そこでペトロは言いました。「主よ、この譬を話したのはわたしたちに向かってですか。それともすべての人に向かってですか。」そこで主は言いました。「それでは、適当な時間に割り当てられた食料を与えるために、主人が自分の召使いたちの上に任命する、忠実で思慮深い管理人は誰でしょうか。主人が来る時に、そのように行っているのを見られる僕は幸いです。わたしはあなたがたに真実を言います。彼(主人)は彼(僕)を自分の全財産の上に立てるでしょう。しかしその僕が自分の心の中で、「わたしの主人は遅れてくる」と言い、男の召使いたちや女の召使いたちを打ちたたき、食べたり飲んだりして、酔いがまわり始めるなら、この僕の主人は、彼(僕)が予期しない日に、そして彼がしらない時刻に来るでしょう。そして彼(主人)は彼(僕)を八つ裂きにし、彼(僕)の報いを不信仰な者たちと共にさせるでしょう。自分の主人の意思を知ったその僕が、用意もせず、あるいは彼(主人)の意思に従って行わないなら、多く鞭で打たれるでしょう。しかし(主人の意思を)知らないで鞭打ちに相当することを行った者は少なく鞭を打たれるでしょう。多くを与えられた人はすべて、彼から多くを要求されるでしょう。そして多くを託された人はもっとそれ以上のこと(を行うこと)が彼に求められるでしょう。

*( )は原文にはないが説明のために付加した言葉。

 

 忠実な管理人とはどのような人でしょうか。それは自分に委ねられた務めを忠実に果たしていく人です。たとえそれがどんなにつまらないと思えるような小さな事であったとしても、またたとえそれが無意味に思えるようなことであったとしても、さらには自分の願うようなものではないことであったとしても、それが自分に委ねられているのだとしたら、それを誠実に果たしていく人です。わたしたちは、必ずしも自分の願うような人生を送ることができなかったかもしれません。自分の夢や希望を実現できないまま、それとは違う人生を歩ませられてきたかもしれません。こんなことはしたくないと思いながら、しかし自分に任せられたことだからと一生懸命に果たしてきたことがあるかもしれません。このようにわたしたちは、たとえそれが自分の願うもの、期待するものではないとしても、いやむしろできれば避けたいと思うような嫌なことであったとしても、それを主がお望みであり、主が自分に託してくださった務めであるとしたら、それを忠実に果たしていくのがわたしたちの為すべき働きです。パウロはわたしたちが「神の秘められた計画をゆだねられた管理者」であり、この「管理者に要求されるのは忠実であることです」と語りました。主は今あなたにどのような務めを委ねておられるでしょうか。それをよく見極めて、それを忠実に、また誠実に果たしていく良い管理人として、自分を主に献げていきましょう。