8月13日(ルカ12章8-12節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ12章8~12節 聖霊を冒瀆するということ〕

 しかしわたしはあなたがたに言います。「人間たちの前でわたしについて告白する人たちはすべて、人の子は神の天使たちの前で彼について告白するでしょう。しかし人間たちの前でわたしを否む〔拒絶する〕者たちは、(人の子も)神の天使たちの前で否む〔拒絶する〕でしょう。そして人の子に敵対して言葉を語る者たちはすべて赦されるでしょう。しかし聖霊に敵対して冒瀆する者たちは赦されないでしょう。しかし(人々が)あなたがたを諸会堂や支配者たちや権力者たちの所に連れて行くときには、どのように、あるいは何を弁明しようかとか、どのように話そうかと心配してはいけません。まさにそのときには聖霊があなたがたに語らなければならないことを教えてくださるでしょう。」

*( )は原文にはないが説明のために付加した言葉。〔 〕は別の訳。

 

 ここで主は「人間たち」の前で信仰告白する者は、「神の天使たち」の前で御自分の者であることを告白すると約束されました。しかし逆にそのような場面で主を否定する者は、同じように否定されると。ルカの時代のキリスト者はまさにこの危険に直面していました。一人一人が祭壇の前に立たされて、皇帝や偶像に香を献げるなら拷問と殉教から逃れることができました。そこでは「イエスは神から見捨てられよ」と言わされたと考えられています。主イエスを呪うことで、自分は信仰を捨て、もはやキリスト者ではないことを証しさせられたのです。しかしそこで「イエスは主である」と信仰告白し、偶像礼拝を拒否した者たちもいました。このように信仰告白することで、自分の命と地位と財産といった地上のすべてのものを失うか、それとも主イエスを否定し、信仰を捨てることで命を長らえさせるか、ぎりぎりの二者択一が迫られたのです。「イエスは主である」と告白できるのは自分の強さや力によるのではなく、聖霊によるとパウロは語りました。迫害と殉教を前にして、そこでなお信仰を告白させるのも聖霊です。しかしその聖霊の働きを阻害して、信仰を否定する者は聖霊を冒瀆する者となります。しかしたとえ一時的に信仰を否定した者さえも、主イエスは赦してくださると教会は考えて、真実に悔い改めた棄教者を受けいれました。教会はこの赦しの福音に生きています。わたしたちも赦しに生きていきましょう。