7月2日(ルカ11章43〜44節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ114344節 目に見えない墓〕

 あなたがたファリサイ派の人々は災いです。会堂の最上席と市場でのあいさつを愛しているからです。あなたがたは災いです。あなたがたは目に見えない墓のようだからです。人々はその上を歩いても、気づきません。」

*〔 〕は別の訳。

 

 主イエスのファリサイ派に対する痛烈な言葉が続きます。「あなたがたは目に見えない墓のようだ。」マタイでは「白く塗った墓」と言われます。それは「外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」ということで、「外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」ということです。しかし人目につかない墓はもっとやっかいです。朽ち果てて草に覆われ、そこが墓であることが分からない墓です。それも同じく「内側は強欲と悪意に満ちて」います。あなたはどうかと主は問われます。見かけは立派な信仰者に見えても、心の内側は様々な悪しき思いに満ちているということはないでしょうか。ねたみ、そねみ、うらやみ、憎しみ、悪口、意地悪、悪意、そうした思いの中で為された奉仕は、奉仕ではありません。罪の心で果たす働きは、それがどれほど見かけが立派ですばらしく、人に役立ち、評価される働きであったとしても罪です。罪が生み出す実は罪でしかありません。99%の善意も、1%の罪で全体が罪の行為となります。わたしたちの奉仕はどうでしょうか。「白く塗った墓」ならまだ避けようもありますが、「目に見えない墓」であったら避けられません。そして人を汚してしまうのです。自分の内側が「偽善と不法・強欲と悪意」で満ちているのなら、まずこの心を聖めていただく必要があります。罪を認めて聖霊による聖めをいただき、心を一新していただきましょう。