5月21日(ルカ11章34〜36節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ113436節 全身を明るくする純真な目を〕

 からだのともし火はあなたの目です。あなたの目が純真〔正常・単一〕であるときは、あなたのからだ全体も輝いています。しかしよこしま〔邪悪・悪い〕ならば、あなたのからだも暗黒〔闇・暗闇〕です。だからあなたの中の光が暗黒〔闇・暗闇〕でないかどうか気をつけなさい。そういうわけで、もしあなたのからだ全体が輝いているなら、何か暗黒〔闇・暗闇〕の部分を持っていないなら、ともし火がその明るさ〔輝き〕であなたを照らし出すように、全体が輝くでしょう。 〔 〕は別の訳。

 

 ともし火の光は目から中に入って来て、内側で光輝くことになると主イエスは言われました。すると光を中に採り入れる窓となる目が重要になります。目が澄んでいれば光は中に入ってきますが、濁っていたり曇っていたら、中に入る光は少なくなってしまい、その結果内側は暗くなってしまいます。「澄んでいる」という言葉は「純真である」あるいは「単一である」という意味も持っています。目は心の目のことで純真な心で見ているかどうかが問われます。心がよこしまであると光は入って来ません。単一であるとは焦点が一つに定まっているということです。わたしたちは二つの目で外の物を見ますが、焦点が一点を見つめるように視点が微妙にずれています。それによって対象が立体的に見え、距離感も分かります。そのように心が一点を見つめているかが問われるのです。この世のあれやこれやに目を移して、焦点が定まらず、ばらばらに物事を見ていないか、心が移ろいやすくなっていないかどうかが問われます。そこで主は「あなたの中の光が暗黒でないかどうか気をつけなさい」と注意を促されます。暗闇に慣れた目はもはや自分が暗闇の中にいることさえ気づかなくなるからです。自分の全体が明るくなるためには、純真な心で物事を見つめ、焦点の定まった目で一点だけを見つめることです。そのように「命の光」である主イエスだけをしっかりと見つめることで、自分の全体を明るくしていただきましょう。