5月14日(ルカ11章33節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ1133節 外からの光に心を照らされて〕

 ランプの火をともしてから、穴倉の中に置く人は誰もいません。また升の下に置く人もいません。むしろ燭台の上に(置きます)。それは入って来る人がその光を見るためです。

 ( )は原文にないが補足した文。

 

 ともし火は入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置くと言われます。光は隠すためでも覆うためでもなく、わたしたちが見えるように輝いており、その光がわたしたちを照らし続けているのです。この光こそわたしたちの心を明るく照らして、内側から輝かせていく光なのです。どんなに明るい人でも打ちのめされるような出来事に出会って心が暗くされてしまいます。どんなに前向きに物事を見られる楽観的な人でも、希望を打ち砕かれるような絶望的な状況に遭遇し絶望に駆られることがあります。しかしそれでも大丈夫なのです。なぜならわたしたちの真の明るさというのは、自分自身が持っている明るさではなくて、光を見つめ、その光に照らされて心の隅々まで明るく照らしてもらうことで明るくされる、そういう明るさだからです。たとえわたしたちの心の中の光が消えてしまいそうになるほど絶望的な状況に置かれたとしても、希望の光が潰え去ってしまいそうになるほど困難な事態に直面したとしても、深い悲しみの中に沈み込んでしまいそうになるときにも、そこでなおわたしたちを照らす光があるのです。わたしたちの心から暗闇を追い払う希望の光がわたしたちの内側で輝き続けていく光、それは主イエス・キリストです。この希望の光に照らされて、たとえどれほどの暗闇の中に置かれたとしてもそこでなお心を明るく輝かしていただき、希望の光に輝くことができるようにしていただきましょう。