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4月21日(ルカ11章31節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ1131節 ソロモンの知恵にまさる方〕

 南の女王がこの世代の人々と共に、審判の時に起き上がらせられる〔復活する・よみがえらされる〕でしょう。そして彼女は彼らを罪に定めるでしょう。なぜなら彼女はソロモンの知恵を聞くことのために地の果てからやって来たからです。そこで見なさい。ここにソロモンよりも偉大な者が(います)。

 ( )は原文にないが補足した文。〔 〕は別の訳。

 

 南の国の女王がソロモンの知恵を聞くためにエルサレムまでやって来て、その知恵を聞きました。主イエスはこの故事を引きながら、人々にご自分の言葉を聞くように促しました。なぜなら主イエスは知恵者ソロモンにまさる「知恵」そのものであられる方だからです。主の話を聞いていた一人の女性が、彼を産んだ母の幸いを叫んだことに対して、主は「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人」だと語りました。主が大食漢で大酒飲み、徴税人と罪人の仲間と誹謗された時には、「知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」と語って、ご自身を「知恵」と同一視されました。ソロモンを源流とする知恵文学が一貫して語る「知恵」とは、「主を畏れる」ことです。それは単なる知識の集積・経験知の集成ではなく、神を畏れるという生き方です。ソロモンは神から最高の知恵を授けられながら、それをもって主を畏れることがなく、その膨大で博学な知識ゆえに高慢となり神から離れます。パウロは「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」と語りました。「神を畏れる」とは「神を愛する」ことであり、「隣人を愛する」ことです。そしてこのように謙遜になって神と隣人を愛する生き方は、真の「知恵」である主イエスの言葉を聞くことによります。天からの声は「これに聞け」と、主イエスの言葉に聞くことを促しました。わたしたちもソロモンにまさる知恵そのものであられる方の言葉に聞きましょう。