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2月19日(ルカ11章17〜20節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ11章17~20節 聖霊に支配された心へと〕

しかし彼(イエス)自身は彼らの考え〔思い〕を知っていたので、彼らに言いました。「自分自身に対立して分裂している〔内輪もめしている〕国はすべて荒廃し、また(分裂している)家は家の上に(重なって)倒れます。だからもしサタンもまた自分自身に対立(し分裂)しているとしたら、どうして彼の国が堅く立っていくでしょうか。あなたがたはわたしがベエルゼブルによって悪霊を追い出していると言っています。しかしもしわたし自身がベエルゼブルによって悪霊を追い出しているのであるとしたら、あなたがたの息子たちは何によって(悪霊を)追い出しているのですか。このこと(彼らの仲間も悪霊を追い出しているという事実)によって、彼ら自身があなたがたの裁判官となるでしょう。しかしもしわたしが『神の指』によって悪霊を追い出しているのだとしたら、神の国はあなたがたの上に(まさに)到来したということなのです。」

 

悪霊の働きはわたしたちの間に分裂と争いと分断をもたらします。しかしその悪霊たち自身は分裂したり、争い合ったりすることがありません。むしろ一致団結して主イエスに逆らい、わたしたちの間に分裂や争いが起こるようにと力を合わせて働きかけています。悪魔の国は一致団結しており、悪霊はわたしたちの間に分裂が生じるように一致し、力を結束させて働いています。しかしそれはわたしたち自身にも見られることです。その場にいない人の悪口を言うことで場が盛り上がり、人をけなすことで親密になり、欠点をあげつらうことで連帯感を覚えます。人の悪口を言うことを楽しみ、欠点をあげつらうことに快感を覚える、その点ではわたしたちも悪霊の仲間ではないでしょうか。それが家庭や学校や社会ばかりではなく、残念なことに教会の中にも蔓延していることに気がつく必要があります。主にある兄弟姉妹の交わりが、まさしくそのような非難中傷の場、罵詈雑言の場となっていないかどうか、考える必要があります。わたしたちが語る言葉は、わたしたちの心の中にある言葉です。そうした言葉は心の中から溢れ出てくるのです。ですから言葉の源である心そのものが聖霊によって聖められていかなければなりません。悪霊に支配される心ではなく聖霊に支配される心とされて、人を建て上げていく言葉を語る者とされるように祈り求めていきましょう。感謝の心で満たされていくように求めていきましょう。