8月21日(ルカ11章1〜4節⑦)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ11章1~4節() 頌栄へと高められる祈り〕

 

〔マタイ6章9~13節〕

そこで、あなたがたはこのように祈りなさい。

 天におられるわたしたちの父よ、

あなたの名が聖(なるもの)とされますように。

 あなたの王国〔支配〕が来ますように。

あなたの意志が、天において(為されるの)と同じように地の上でも、

為されますように

次の日〔今日〕のためのパンをわたしたちに今日与えてください。

わたしたちの負い目をわたしたちに対して赦してください。

わたしたちがわたしたちに負い目のある人たちを赦してしまいましたように。

そしてわたしたちを試み〔試練・誘惑〕の中に導き入れないでください。

むしろ、わたしたちを悪〔悪を為す者〕から救ってください。

【なぜなら王国〔支配〕と力と栄光とは、永遠まであなたにあるからです。アーメン】

*( )は原文にはないが、理解に供するために付加したもの、〔 〕は別の訳。

*最後の【 】部分は多くの翻訳聖書が底本とする標準的なギリシャ語テキストにはないが一部の写本には付加されている部分。

 

 主の祈りは「国とちからと栄えとは限りなくなんじのものなればなり」と神への賛美で閉じられます。激しい試練に直面し、厳しい現実に対処しなければならないわたしたちにとって、どうしてその現実のただ中で神を賛美することなどできるのでしょうか。それはこの祈りそのものにあります。この祈りは「なぜなら王国〔支配〕と力と栄光とは、永遠まであなたにあるからです」と祈ります。「なぜなら」とそのように祈る根拠が示されています。つまり自分が祈り求める神とは、御国も御力も栄光も御自身のものとして全能の御手をもって支配しておられる摂理の神であるからということです。確かに今自分を取り囲んでいる現実は厳しいかもしれません。しかしそれはこの全能の神の御手の支配の下に置かれたものにすぎません。確かに今自分が直面している試練はとてつもなく大きなものであるかもしれません。しかしその試練も、神が支配して御手の中で司っておられるものにすぎません。わたしたちはこの神の摂理の御手の守りの中に置かれているのです。わたしたちは目の前の現実ばかりを見て、恐れ、かがみ込むばかりですが、そうしてかがみ込むわたしを神は守り、支えていてくださっています。そうしてわたしたちの目が神へと引き上げられて、自分が寄り頼んでいる方がどれほど偉大で力ある全能の神であるかを見上げ、賛美することで、わたしたちは平安の内に問題を乗り越えていくようにされるのです。