8月14日(ルカ11章1~4節⑥)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ11章1~4節() 試練からの守りを求める祈り〕

 さて、彼(イエス)がある場所で祈っているときに起こったことです。彼が(祈りを)終えたとき、彼の弟子たちのある人が彼に向かって言いました。「主よ、(洗礼者)ヨハネも彼の弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。」そこで彼は彼らに言いました。「あなたがたは祈るときには、(次のように)言いなさい。

 父よ、あなたの名が聖(なるもの)とされますように。

 あなたの王国〔支配〕が来ますように。    

次の日〔今日〕のためのパンをわたしたちに毎日与え続けてください。

わたしたちのをわたしたちに対して赦してください。

なぜなら、わたしたち自身もわたしたちに負い目のあるすべての人を赦していますから

そしてわたしたちを試み〔試練・誘惑〕の中に導き入れないでください。」

*( )は原文にはないが、理解に供するために付加したもの、〔 〕は別の訳。

 

〔マタイ6章13節〕

そしてわたしたちを試み〔試練・誘惑〕の中に導き入れないでください。

むしろ、わたしたちを悪〔悪を為す者〕から救ってください

 

 

「われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」という祈りの前半がルカの本文で、「わたしたちを試みの中に導き入れないでください」となっています。わたしたちを試練や誘惑に導き入れないようにと願う祈りです。なぜそう祈るのでしょうか。それはわたしたちが試練に弱く、すぐに誘惑に負ける弱い者だからです。その自分の弱さを認めるところで、率直に神の守りと助けと支えを求める祈りがこの祈りです。しかしわたしたちは、どうして試練に遭うのでしょうか。神はわたしたちに試練をお与えになることがあります。それは信仰の訓練のためです。わたしたちの信仰をより強くするために、試練に出遭わせるのです。わたしたちはこの世ばかりを見て生活してしまいがちです。自分は信仰者として正しい方向を見て生きているだろうか、問い直す必要があります。苦難はそうした問い直しをわたしたちにさせていきます。信仰による希望へと目を向けて生きていくように、苦難はわたしたちを立ち止まらせ、方向転換させていくのです。たとえ苦しみの意味を知ることができなかったとしても、神にはわたしにこの苦しみを与えられる理由があり、意味をもって苦しみを通らせておられるのです。なによりも、苦しみを通されることによってでなければ得られない神の恵みがあります。そして苦しみ悩むことを通して、わたしたちはもっと深く神の恵みに出遭い、神に寄り頼み、神を待ち望む者とされていくのです。