〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ11章1~4節(3) 神の国の到来を求める祈り〕
さて、彼(イエス)がある場所で祈っているときに起こったことです。彼が(祈りを)終えたとき、彼の弟子たちのある人が彼に向かって言いました。「主よ、(洗礼者)ヨハネも彼の弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。」そこで彼は彼らに言いました。「あなたがたは祈るときには、(次のように)言いなさい。
父よ、あなたの名が聖(なるもの)とされますように。
あなたの王国〔支配〕が来ますように。
次の日のためのパンをわたしたちに毎日与え続けてください。
わたしたちの罪をわたしたちに対して赦してください。
なぜなら、わたしたち自身もわたしたちに負い目のあるすべての人を赦していますから。
そしてわたしたちを試みの中に導き入れないでください。」
*( )は付加したもの、〔 〕はもう一つ別の訳
御国が来ますようにという祈りは不思議な祈りです。国というのは固定されていて、こちらが向こうに行くことはあっても、国がこちらに来ることはないと考えます。しかしこの祈りは神の国がこちら来るようにと祈るのです。神の国とは神の支配のことです。神が王である揺るぎない王国の恵みの支配がわたしの許にまで広げられ、及んできて、わたしをあなたの支配下に置いてくださいと祈るのです。なぜなら今自分が置かれている現実は、およそ神が支配される世界とは違うからです。神とは違うものが支配する不条理で理不尽な世界です。その中でわたしたちはあえぎながら苦しんでいます。だから自分の生きているこの世界が神の国となるように求めます。主イエスは「神の国はあなたがたの間にある」と言われました。神の恵みの支配は、神経をすり減らすような厳しい人間関係の間にも及ぼされます。だから地獄のような現実を天国に変えてくださいと祈るのです。この神の支配は外側だけではなく、わたしたちの内側にも及ぼされます。わたしたちの心を支配するのは何でしょうか。罪に満ちた自我が支配し、肉欲に溺れて生きています。人を愛せない心や赦せない思いに満ちています。そうした肉の自分が聖霊の支配の下に置かれて新しくされ、神を中心にして生きる新しい自分に変えられるようにと祈るのです。憎しみに縛られて生きる自分が、神の愛と赦しに生きる者へと新しく変えられるようにと祈るのです。
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