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7月3日(ルカ11章1~4節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ1~4節() 主イエスのアバへの祈り〕

 さて、彼(イエス)がある場所で祈っているときに起こったことです。彼が(祈りを)終えたとき、彼の弟子たちのある人が彼に向かって言いました。「主よ、(洗礼者)ヨハネも彼の弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。」そこで彼は彼らに言いました。「あなたがたは祈るときには、(次のように)言いなさい。

 父よ、あなたの名が聖(なるもの)とされますように。

 あなたの王国が来ますように。

次の日のためのパンをわたしたちに毎日与え続けてください。

わたしたちの罪をわたしたちに対して赦してください。

なぜなら、わたしたち自身もわたしたちに負い目のあるすべての人を赦していますから。

そしてわたしたちを試みの中に導き入れないでください。」

*( )は付加したもの、〔 〕はもう一つの訳

 

 主イエスが祈りを終えられたとき、弟子たちは祈りを教えてくださいと乞いました。彼らは祈りを知らなかったからではありませんでしたが、それほど主イエスの祈りは彼らの祈りとは違う何かを感じさせるものだったからでした。そこで教えられたのが主の祈りでした。この祈りはただ弟子たち向けに教えられたのではなく、主イエスの祈りそのものでした。その祈りで最初に、神を父と呼びかけるようにと教えられました。実は主の祈りの秘密は、神を父と呼ぶことにありました。しかもこの父は、本来はアバと呼ばれた言い方でした。アバとは、幼い子供が自分の父親を呼ぶときの片言の言い方でした。天地の創造主にして全能の神である父を、アバ(お父ちゃん)と呼べるのは、主イエスだけでした。それほど父なる神は厳しい裁き主としてしか見上げることができないほど縁遠い、遠くの存在でしかなかったからでした。しかし主イエスは、その神をアバと呼べと教えられます。そこには父親に対する素朴なまでの子どもらしい信頼がありました。そしてわたしたちも主イエスのゆえに、父なる神をアバと呼ぶことが許されているのです。父は子の必要を知り、それを満たしてくれる存在です。祈る前からわたしたちの必要を知っておられる父が、ご自分をアバと呼んで、必要を祈るようにと求められるのです。ですからわたしたちも主イエスと共に、父なる神をアバと親しく呼びつつ、信頼を持って祈り求めていきましょう。