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5月22日(ルカ10章17~24節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ101724節 天にある喜びにあずかる喜び〕

 さて七十二人が戻って来て、喜びながら言いました。「主よ、あなたのお名前によって悪霊さえもわたしたちに服従します。そこで彼(イエス)は彼らに言いました。「わたしはサタンが稲妻のように天から落ちたのを見ていました。見なさい。わたしはあなたがたに蛇やさそりを踏みつけ、敵のすべての力に対する権威を与えました。そこで何もあなたがたに危害を加えることはありません。しかし霊たちがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名前が天に書き込まれていることを喜びなさい。」

 そのとき彼(イエス)は聖霊において喜び、そして言いました。「わたしはあなたをほめたたえます。父よ、天と地の主よ、あなたがこれらのことを賢い人々や聡明な人々には隠し、幼子たちに啓示されたからです。そうです。父よ、このようにしてあなたの御前に喜ばれることが起こりました。わたしの父によって、すべてのものがわたしに引き渡されました。そして子が誰であるかを知っているのは、父の他にはいません。そして父が誰であるか(を知っているの)は、子と子が啓示しようと決めている人の他にはいません。」そして彼(イエス)は弟子たちに向かって振り向き、ひそかに言いました。「あなたがたが見ているものを見る目は幸いです。わたしはあなたがたに言いますが、多くの預言者たちや王たちが、あなたがたが見ていることを見たいと願いましたが彼らは見ませんでした。またあなたがたが聞いていることを聞きたいと願いましたが、彼らは聞きませんでした。」

*( )は原文にない説明のための付加。

 

 

七十二人が戻って来て、その成功のさまを報告します。悪霊でさえ自分たちに服従すると。それを聞いて主イエスも喜びつつ神に賛美をささげます。ここには二つの喜びがあります。一つは弟子たちの喜び、もう一つは主イエスの喜びです。しかし弟子たちの喜びは自分たちの成功に酔いしれた喜びであり、表面的な現象に捕らわれた浅い喜びです。失敗したら失われてしまう喜びにすぎません。自分がこうできたと自分の成果に酔いしれる自己満足な喜びです。しかし主イエスの喜びは神に向かいます。小さな者をも用いられる神の恵みを賛美し、感謝するところから湧き溢れた神中心の喜びです。目先の成功に酔いしれる弟子たちに、主イエスは自分たちの名が天に記されていることを喜びなさいと語られました。わたしたちの名が「命の書」に書き記されていること、そのことこそ喜ぶべきことです。それは永遠の命へと救われたことを約束するものです。ここでわたしたちは地上の働きの出来・不出来や成功・失敗に一喜一憂するのではなく、永遠の命を与えられていることをこそ喜ぶことを教えられます。一人の罪人が悔い改めると天では大きな喜びがあると主イエスは請け合いました。わたしたちが救われた時、天では大きな喜びがありました。そして今度はわたしたちが人を導く時、また天では喜びに沸き返ります。この天での喜びの中に包まれながら今日の働きがあることを覚えて務めに励んでいきたいと思います。