5月8日(ルカ10章10~16節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ101016節 悔い改めない者への神の憐れみ〕

 「あなたがたが入って行く町で、人々があなたがたを受け入れないなら、その町の大通りに出て行って言いなさい。『わたしたちは、わたしたちの足についたあなたがたの町の埃を、あなたがたに対して払い落とします。しかしこのことは知りなさい。すなわち神の国は近づいたということを』と。わたしはあなたがたに言います。(裁きの)日には、ソドムの方が、その町よりも耐えやすいでしょう。あなたは災いだ。コラジン。あなたは災いだ。ベトサイダ。なぜならあなたがたの間で行われた数々の奇跡が、ツロやシドンで行われていたなら、それらはとっくに荒布と灰の中に座りながら、悔い改めたでしょう。裁き(の日)においては、あなたがたよりもツロとシドンの方が耐えやすいでしょう。そしてあなた、カファルナウム。あなたは天へと上げられることはないでしょう。ハデス〔陰府〕まで投げ落とされるでしょう。あなたがたに聞く者は、わたしに聞き続けます。あなたがたを拒む者は、わたしを拒み続けます。そしてわたしを拒む者は、わたしを遣わした方を拒み続けます。」

*( )は原文にない説明のための付加。

 

主イエスは遣わした七十二人に、彼らを受け入れない町があったら、足についた埃を払い、神の国が近づいたことを宣言するように命じられました。そして主イエスの不思議な業と働きを目の当たりにしながら、主を受け入れようとしなかったコラジン、ベトサイダ、カファルナウムに対して裁きの言葉を語られました。こうした裁きの言葉は旧約の預言者も語っていたものでした。それは厳しい裁きと滅亡の予告でしたが、神がそれを語らせたのは神の民がその預言の通りに滅亡するためではなく、それを聞いて心から悔い改め、神へと立ち帰って救われるためでした。神は御自分の民が滅びることを望まず、その結果としての滅亡を預言させることで、彼らが悔い改めることを願い、真剣に立ち帰ることを呼びかけ続けてこられたのでした。「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」これが裁きの言葉を語る神の真意でした。同じように主イエスも裁きの言葉を投げかけられたのは、彼らが悔い改めて、滅びを免れるようになるためです。神は今日わたしたちにも呼びかけてこられます。「悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ」と。