5月1日(ルカ10章1~9節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ10章1~9節 主イエスの平和をもたらす働き〕

 さてこれらの後に、主は別の七十二人を任命し、そして彼らを二人ずつ、御自分が行こうとしていたあらゆる町や場所へと、御自分の顔の前に彼らを遣わされました。そこで彼は彼らに向かって言いました。「収穫が多い一方で、しかし働き手は少ないです。そこで収穫の主に、御自分の収穫の中に働き手を送り出すように願いなさい。出て行きなさい。見なさい。わたしはあなたがたを、狼たちの真ん中の子羊のように遣わします。財布を持って行ってはいけません。旅行袋も、履物も(持って行っては)いけません。道の途中では、誰にも挨拶してはいけません。家に入ったら、まず『この家に平和(があるように)』と言いなさい。もしそこに平和の子がいたら、彼の上にあなたがたの平和は留まります。しかしもしそうでないから、(平和は)あなたがたの上に戻ってくるでしょう。そこでその家に留まっていなさい。彼らからの(差し出される)ものを食べ、飲みなさい。なぜなら働く者は自分の報酬(を受けること)がふさわしいからです。家から家へと移動してはなりません。そしてあなたがたが町に入って行き、人々があなたがたを受け入れるなら、あなたがたに差し出されるものを食べなさい。そしてその町にいる病人をいやし、彼らに語りなさい。『あなたがたのところに神の国が近づいた』と。」

*( )は原文にない説明のための付加。

 

 

主イエスは十二人とは別に七十二人を各地に遣わされました。彼らによって「神の国が近づいた」ことを知らせるためです。そのために彼らには、財布も旅行袋も履物も持参することが許されませんでした。彼ら自身が神の支配、神の守りの中で生きていることによって、神の国が来たことを実証するためです。神の国とは神の支配、神の守りのことだからです。それは平和の国です。だから迎え入れられた家に入ったら、まず「この家に平和」と祈り、宣言することが求められました。神の国を宣教する彼らは、神の平和をもたらす使者でもあるからです。この平和には実体がありました。それにふさわしい人の上には留まるけれど、そうでなければ彼ら自身に戻って来るものだからです。この平和は主イエスご自身が与えてくださる平和です。主イエスは「わたしの平和を与える」と約束してくださいました。それは「世が与える」ようなものではなく、「わたしの平和」と言われるように、主イエスが持っておられる平和、主イエスご自身を満たしている平和です。この平和によってわたしたちは苦難をも乗り越えることができるようになる、そのような平和です。その平和でわたしたち自身が満たされると共に、わたしたちもそれを隣人へと取り継いでいき、隣人の許へともたらすために遣わされていきます。「わたしを、あなたの平和の道具としてお使いください」と祈りつつ、平和をもたらす使者として遣わされていきましょう。