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4月24日(ルカ9章57~62節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ9章57~62節 神の国を言い広めるために〕

 さて彼らが道を進んで行く途中、ある人が彼に向かって言いました。「わたしはあなたが行かれるところにはどこへでもあなたについて行きます。」そこでイエスは彼に言いました。「狐は穴を持っています。そして空の鳥はねぐらを(持っています)。しかし人の子は頭を横たえる場所を持っていません。」また彼は他の人に向かって言いました。「わたしについて来なさい。」しかし彼は言いました。「主よ、最初にわたしの父を葬るために出かけることを許してください。」しかし彼(イエス)は彼に言いました。「死者たちに自分たちの死者を葬ることは任せなさい。しかしあなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」さらに別の人が言いました。「わたしはあなたについて行きます。主よ、しかし最初にわたしの家(の人)に別れを告げることを許してください。」しかしイエスは彼に向かって言いました。「手をすきに置いて、そして後ろを見続けている人は、神の国に役立たない。」

*( )は原文にない説明のための付加。

 

主イエスは、ご自身の後について行きたいと申し出た人には、それが心を安らがせる場所を失うほど厳しい道であることを語り、親の葬儀に出てからついて行くと申し出た人には、死んでいる人たちで葬らせればよいと語り、家族に暇乞いをしてからついて行くと申し出た人には、後ろを振り返る者は「神の国」の役に立たないと語りました。いずれも主イエスに信従することの厳しさと覚悟を求めた言葉です。たしかに主イエスの後について従って行くことは困難な道です。弟子たちも全てを捨てて従わなければなりませんでした。それは親と子、兄弟、夫婦の関係以上に、主イエスとの関係を優先させなければならないことが求められる厳しい道です。かつての日本ではキリスト者となることは、親から勘当されることも覚悟しなければならないものでした。けれども同時にそれは「神の国」へと至る道でもあります。そして主は約束されました。「神の国」のために、家族を捨てる者は何倍もの報いを受け、永遠の命を得ると。永遠の命こそ、わたしたちが求めるべき第一のものではないでしょうか。その命とは生物としての命(ビオス)ではなく、わたしたちを根源から生かしていく命(ゾーエー)です。それは御子の命であり、この命を与えるために主イエスはこの世においでくださったのでした。わたしたちもこの命を求めていくと共に、この命に生かされつつ、命の国である「神の国」を言い広めていきたいと思います。