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4月10日(ルカ9章51~55節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ9章51~56節 ヨハネを変えた主イエスの愛〕

 さて、彼(イエス)の天に引き上げられる日々がすっかり満たされようとしているときに起こったことです。彼自身は顔をエルサレムに行くようにしっかり向けました。そして彼は彼の顔の前に使者たちを遣わしました。そこで彼らは彼のために準備をするために、サマリア人の村に入って行きました。ところが彼ら(村人たち)は彼を受け入れませんでした。なぜなら彼の顔がエルサレムへと向かっていたからでした。

 そこで弟子であるヤコブとヨハネが(これを)見て言いました。「主よ、火が天から降って来て、彼らを焼き滅ぼすようわたしたちが求めることを、あなたはお望みですか。」しかし彼は振り返って、彼らを叱りつけました。そして彼らは別の村へ行きました。

【そして彼は言いました。あなたがたは自分たちがどのような種類の霊であるかを分かっていません。人の子は、人の魂を滅ぼすためではなく、むしろ救うために来たのです。】

*( )は原文にない説明のための付加。【 】は新共同訳の底本にはないテキスト。

 

主イエスがサマリア人の村に入ろうとしたところ、村人は主イエスを拒絶しました。主イエスがエルサレムに向かって進んで行こうとされていたからでした。それを見たヤコブとヨハネは激怒し、天からの火を降して彼らを焼き滅ぼしてしまいましょうと進言します。しかし主はそれをたしなめると別の村に進んで行かれました。主イエスの願いは滅ぼすことではなく、救うことにあったからでした。主がエルサレムに向かって行こうとされるのも、十字架にかかってわたしたちを救うためでした。しかしこのことで二人は雷の子というあだ名を付けられます。短気ですぐに激情に走る、喧嘩っ早い性格だったからでしょう。そのヨハネは晩年、主イエスの福音書を書きますが、その中で「神は御子をお与えになるほどに世を愛された」と神の愛を語り、また主イエスが「互いに愛し合う」ことを教えられた言葉を残します。そして手紙でも「互いに愛し合う」ことを繰り返し説き勧めます。御子をお与えになるほどの神の愛と、御自身を犠牲にしてわたしたちを救おうとされる主イエスの愛に出会ったヨハネは、次第に変えられていき、最後には「愛の人」にされていきました。短気だったヨハネを変えたのは神の愛でした。神の愛が彼を征服し、少しずつ「愛の人」へと変えていったのでした。そして晩年は「互いに愛し合いなさい」と、それだけを繰り返し説いたと伝えられています。同じ神の愛がわたしたちをも変えていきます。