2月28日(ルカ9章37~43節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ9章3743節 信仰のない私をお助けください〕

 さて次の日、彼らがその山から下って来たとき、多くの群衆が彼(イエス)を出迎えるということがありました。すると見なさい。群衆の中から一人の男が叫んで言いました。「先生、あなたにお願いします。わたしの息子の上に目を留めてください。なぜなら彼はわたしにとって一人息子だからです。そして見てください。霊が彼をつかみ取ります。すると彼は突然叫びます。そしてあわを吹いて彼をひきつけさせ、彼を激しく打ちたたいて〔衰弱させて〕、なかなか彼から離れ去ろうとしません。そこでそれを追い出すようにと、あなたの弟子たちにお願いしましたが、しかし彼らはできませんでした。」

 そこでイエスは答えて言いました。「ああ、不信仰で邪悪な世代よ。いつまでわたしはあなたがたと共にいなければならないのだろうか。そしてあなたがたに我慢しなければならないのだろうか。あなたの息子をここに連れて来なさい。」ところが彼がまだ近づいている間に、悪霊は彼を引き倒し、そしてひきつけさせました。しかしイエスはその汚れた霊どもをしかりつけ、その男の子をいやされました。そして彼を彼の父親に返しました。するとすべての人々が神の偉大さに驚嘆しました。

*( )は原文にないが説明のために付加した部分、〔 〕はもう一つの訳

 

主イエスが山から下りると、そこには不信仰の現実が待っていました。群衆の不信仰、それは主イエスの奇跡を見世物のように見なす興味本位の不信仰でした。弟子たちの不信仰、それは悪霊追放の権能を自分たちに与えられた特殊な能力であるかのように見なす、自分に頼る不信仰でした。そこには自分の無力を自覚して、ひたすら主イエスご自身に寄り頼むという信頼がありません。父親の不信仰、それは藁をもすがろうとする、もしできるならという不信仰でした。彼は何度も裏切られてきたのですから、そう考えるのも理解できます。しかしそれも不信仰でした。主イエスは彼に切り返しました。「『できれば』と言うのか。信じる者には何でもできる」と。そこで彼は必死になって叫びました。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と。主イエスを魔術師の類に考えていた彼に、主は御自身への確たる信頼を求めました。その信頼はまず自分には信仰がないことを率直に認めることから始まります。「信じます」と叫ぶ自分自身は実は信仰がないのです。不信仰で無力なのです。しかしだからこそ主が必要です。お助けくださいと叫び求めること、それが信仰なのです。自分の信仰など吹けば飛ぶほどもろく、弱く、小さいのです。けれどもその不信仰なわたしを主は助けてくださると寄り頼んでいく、そこにまことの信仰が成り立ちます。わたしたちも求めましょう。「信仰のないわたしをお助けください」と。