2月14日(ルカ9章24~27節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ9章2427節 永遠の命を獲得するために〕

 というのは、自分の魂を救うことを願う人は誰でも、それを滅ぼすでしょう。しかし、わたしのために自分の魂を滅ぼす人、その人こそはそれを救うでしょう。というのは、たとえ世界全体を獲得しても、自分自身を滅ぼすとしたら、あるいは没収されるとしたら、何の益になるでしょうか。人の子が御父と聖なる御使いたちの栄光を帯びて来るときに、わたしとわたしの言葉を恥じる人、その人を(人の子も)恥じるでしょう。しかしわたしはあなたがたに真実を言います。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは死を味わうことがない〔経験しない〕人がいます。

*( )は原文にないが説明のために付加した部分、〔 〕はもう一つの訳

 

 自分の魂を救うとは、迫害を避けて信仰を否定することであり、自分の魂を滅ぼすとは、信仰を告白して地上の命を失うことを意味します。しかしそれによって永遠の命を獲得します。それは終わりの裁きの時に明らかにされます。信仰を否定した者の末路は永遠の滅びですが、信仰を告白した者には永遠の命が約束されます。迫害の時代には、主イエスに対する信仰を告白して自分の命を落とすか、それとも信仰を否定して地上の命を長らえるかの究極的な選択が求められました。ここで主イエスはわたしたちに、永遠の命を求めるように呼びかけられます。一時の苦難と体の死を避けるために、それと引き換えに自分の命、すなわち永遠の命を失ってはならないと訴えられるのです。永遠の命こそ、わたしたちが地上において追い求め続けるべき唯一のものです。わたしたちは何を獲得するために汲々となって生きているでしょうか。富、財産、名誉、地位、仕事、家、家族、どれもこれも大切なものには違いありません。しかし生きるか死ぬかという究極の選択を前にした時には無意味なものです。永遠の命という永遠の賜物とは比べることができないほど無価値なものにすぎません。それにもかかわらずわたしたちは、こうしたもののために労苦し、獲得しようと必死になって生きています。これらはやがては地上に置いていくだけのものにすぎません。それよりも自分の命、すなわち永遠の命を得るために必死になるべきです。