1月24日(ルカ9章10~17節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ9章1017節 主の祝福の中で用いられる人生〕

 さて使徒たちは戻って来て、彼らが行なったありとあらゆることを彼(イエス)に話して聞かせました。そこで彼は彼らを連れて行って、ベトサイダと呼ばれる町の中に自分たちだけで退いていかれました。ところが群衆は(それを)知って、彼について来ました。そこで彼は彼らを歓迎して迎え、彼らに神の国について話しました。そしていやしを必要としている人々をいやし続けました。

 ところが日が傾き始めました。そこで十二人がやって来て彼に言いました。「群衆を解散させてください。彼らが周りの村や集落に行って宿を取り、食べ物を見つけるために。ここでわたしたちは人里離れた場所にいるのですから。」しかし彼は彼らに向かって言われました。「あなたがたこそが彼らに食べる物を与えなさい。」しかし彼らは言いました。「わたしたちには五つのパンと二匹の魚より以上のものはありません。もしわたしたちが出かけて行って、この民すべてのために食べ物を買ってくるようなことでもしなければ。」というのは、およそ五千人の男たちがいたからでした。そこで彼は彼の弟子たちに向かって言いました。「あなたがたは彼らをおよそ五十人ずつの組にして横にならせなさい。」そこで彼らはそのようにすべての人々を横にならせました。すると彼は五つのパンと二匹の魚を取り上げて、天を見上げ、それらを祝福して、細かく割きました。そして(それらを)群衆に分け与えるようにと、弟子たちに次々と与えられました。そこですべての人々が食べて満腹しました。そして彼らが残したパン切れが十二のかごに集められました。

*( )は原文にないが説明のために付加した部分、〔 〕は別の訳

 

 

 五千人以上もの人が空腹だったとき、弟子たちの手許にあったのは五つのパンと二匹の魚だけでした。弟子たちの目には、それはこれだけの人々をまかなうにはあまりにも不十分で、何の役にも立ちそうにないように見えました。しかし主はそれを取ると、天を仰いで祝福を祈り、割いて渡しました。するとパンは割いても割いてもなくならず、次から次へと生み出されていって、ついには全員の手に渡り、満ち足りるまでになりました。弟子たちは深い感動を覚えながら、次々に増えていくパンを人々に手渡し続けていったことでしょう。主が手にされたものはごくわずかな、取るに足りないものにすぎませんでした。しかしそれが主によって祝福されると、何倍にもなって必要を満たすために用いられるものとなりました。わたしたちも自分は賜物に乏しく、能力もなく、財もないと自らの貧しさを覚えます。それが何の役に立つだろうかといぶかしく思います。しかしそれを主の許に献げていくなら、主の祝福の中で幾倍にも用いられるものとされていくのです。教会はこの主イエスに対する信仰の中で生きてきました。集まる人数は少なく、人材は乏しく、財もなく貧しい群れにすぎないかもしれません。しかしそれを主が祝福してくださるなら、やがては鳥が巣を作るほどの大木へと成長していくと信じて、自らを献げていったのです。わたしたちもこの主の祝福の中で自分が用いられる恵みに生かされていきたいと思います。