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11月22日(ルカ8章40~48節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ8章40~48節 自分を救う真の信仰とは〕

 さてイエスが帰って来ると、群衆が彼を出迎えました。なぜならすべての人が彼(の帰り)を待っていたからでした。すると見なさい。ヤイロスという名の人がやって来ました。この人は会堂長でした。そしてイエスの足許にひれ伏して、彼(イエス)が彼(ヤイロス)の家の中に入って来るようにと懇願しました。なぜなら彼には12歳になる一人娘がいましたが、彼女はまさに死にかけていたからでした。

 彼が行かれるとき、群衆は彼を押しつぶすほどでした。そして12年にわたって血の流出の中にいた女性がいました。彼女は医者たちのために自分の生活費のすべてを使い果たしてしまいましたが、誰にもいやしてもらえずにいました。彼女は後ろから近づいて、彼の着物のふさにさわりました。するとたちどころに彼女の血の流出が止まりました。

 そこでイエスは、「わたしにさわったのは誰か」と言いました。しかしすべての人々が知らないと言っているときに、ペトロが、「先生、群衆があなたに押し迫っているのです。そして彼らは押し合っています」と言いました。しかしイエスは、「誰かがわたしにさわりました。わたしから力が外へと出て行ったことをわたしは知っているからです」と言いました。そこでその女性は、気づかれないでいることはできないと知って、震えながらやって来て、彼の前にひれ伏しました。そして彼女が彼にさわった理由と、そしてどのようにして彼女が即座にいやされたかを、群衆のすべての人々の前で知らせました。そこで彼は彼女に、「娘よ、あなたの信仰があなたを救いました。平安のうちに行きなさい」と言いました。

*( )は原文にないが説明のために付加した部分

 

 ゲラサから戻られた主イエスを群衆が待ち受けていました。その中に12年もの間出血に苦しむ女性がいて、藁をもすがる思いで主イエスの衣のふさにそっと触れました。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからでした。すると即座にいやされたことを体で感じた彼女は、その場をそっと立ち去ろうとします。しかしご自分から力が出て行くことを感じた主イエスは、誰が自分に触ったかと問われました。隠しおおせないと覚悟した彼女が事の次第を語ると、主イエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救いました。平安のうちに行きなさい」と送り出します。しかしここで示された彼女の信仰とはどのようなものだったでしょうか。ご利益信仰と何ら変わるところがない信心にすぎず、およそ聖書が語る信仰とは程遠いものだったのではないでしょうか。わたしたちは自分の信仰について強いとか弱い、大きいとか小さいと考えます。しかし信仰は強さや大きさが問題なのではなく、どこを向いているかこそが重要です。どんなにか細く、頼りない信仰であっても、それが主イエスに向けられたものであるなら、主イエスはその信仰を受け入れ、祝福し、恵みの御業を起こしてくださいます。まことの信仰とは、それが主イエスに向けられたものであり、主イエスを信頼し、寄り頼んでいくことです。その信仰の中にあるとき、主はわたしたちにも「平安のうちに行きなさい」と送り出してくださるのです。