9月13日(ルカ8章4~8、11~15節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ8章4~8、1115節 実を結ぶ聞き方〕

 さて、多くの群衆が一緒に集まり、また町ごとに〔町という町から〕人々が彼(イエス)の許に向かって旅をして次々とやって来たとき、彼は譬話を通して話しました。「種を蒔く人が彼の種を蒔くために出て行きました。そして彼が蒔いている間に、あるものは道の傍らに落ちました。そして踏みつけられ、また空の鳥がそれを食べ尽くしてしまいました。また別のあるものは岩の上に落ちました。そして生え出たとき、水分がなかったために枯れてしまいました。また別のあるものはいばらの真ん中に落ちました。するといばらが一緒に生え出て、それを窒息させてしまいました。また別のあるものは良い地に落ちました。そして生え出て、百倍の実を結びました。彼は呼びかけて言われました。「聞く耳を持つ人は聞きなさい。」

 さて、この譬話はこういうこと〔意味〕です。種とは神の言葉です。そして道の傍らのものとは(次のような)人々です。彼らが聞くと、次に悪魔がやって来て、その言葉を彼らの心から奪い去ります。それは彼らが信じることによって救われることがないためです。岩の上のものとは(次のような)人々です。彼らは聞くときは喜んで御言葉を受け入れます。しかし根がないために、しばらくの間は信じますが、試練の時には背教〔棄教〕します。いばらの中のものとは(次のような)人々です。彼らは聞きますが、様々な思い煩いや富や生活の快楽によって暮らしているうちに、窒息させられて実を熟させることがありません。しかし良い地のものとは(次のような)人々です。彼らは良く、正しい心で御言葉を聞くので、(御言葉を)しっかり保って、忍耐して実を結びます。

*( )は説明のために付加した言葉で原文にはない。〔 〕はもう一つ別の訳。

 

 この譬は、わたしたちの御言葉に対する聞き方を問いかけてきます。第一の種は、御言葉を自分の問題として考えようとしない人です。他人事のように聞いて、自分自身にあてはめることをしません。傍観者として聞くので御言葉が心に留まりません。第二の種は、最初は喜んで聞きますが、根を生やすことのない人です。一時的な信仰で困難に直面するとすぐに挫折します。第三の種は、この世の思い煩いや快楽で心が一杯になっている人です。この世のことで心が支配されているので、聞いた御言葉が心の中で成長することがありません。むしろそうしたものによって聞いた御言葉が窒息させられてしまいます。主イエスはこの譬によって、自分がどのように御言葉を聞いているかをわたしたちに問いかけてこられます。もちろん主イエスが願われるのは、第四の種です。善良な心とは御言葉をまっすぐに受け入れ、信じて聞く心です。そしてただ聞くだけではなく、それをしっかりと守って、忍耐強く聞き続けることです。御言葉には、心に響かないものもあれば、自分とは関係ないように思われるものもあります。しかしそうした御言葉をも含めて忍耐強く聞き続けていくとき、そうした御言葉がやがて実りをもたらします。御言葉が自分の力となり知恵となって、信仰の道を力強く歩み進めていくようになります。また聖霊による信仰の実りをたわわに実らせるものとなります。だから忍耐強く聞き続けていきましょう。