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8月9日(ルカ7章18~23節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ7章18~23節 来たるべき方とは誰か〕

 そしてこれらのことのすべてを、ヨハネに彼の弟子たちが伝えました。そこで彼(ヨハネ)は彼の弟子たちの(中から)二人を呼び寄せると、「あなたが来たるべき方ですか。それとも他の方を待ち望むべきですか」と言いながら主の許に送りました。そこでその男たちが彼(イエス)の許にやって来て、「洗礼者ヨハネが『あなたが来たるべき方ですか。それとも他の方を待ち望むべきですか』と言うようにと、わたしたちをあなたの許に遣わしました」と言いました。そのとき彼(イエス)は多くの(人々)を、病気や激しい苦痛や悪霊からいやし、そして目の見えない人々に(目が)見える恵みを施していました。そして彼(イエス)は彼らに答えて、「あなたがたは行って、あなたがたが見たこととあなたがたが聞いたことをヨハネに伝えなさい。『目の見えない人々は見えるようになり、足の不自由な人々は歩くようになり、ハンセン病の人々はきよくされ、耳の聞こえない人々は聞くようになり、死んだ人々は起き上がり〔生き返り〕、貧しい人々には福音が宣べ伝えられている。』わたしにつまずかない人は幸いです。」と言いました。

 ( )は説明のために付加した言葉で原文にはない。〔 〕は別の訳。

 

 洗礼者ヨハネは主イエスが行われていることを聞いて、「あなたが来たるべき方ですか」と問いました。「来たるべき方」とはその登場が預言され、待望されていたメシアのことですが、ヨハネにとってのメシアは神の裁きを実現する方でした。ところが主イエスがしておられたことは、病人をいやし、障がいを持つ人を治し、ハンセン病の人をきよめ、死者を生き返らせるといったことでした。ヨハネはじりじりする思いで、主イエスが神の裁きを早く実現してくれるように期待していましたが、主イエスのしていることは、ヨハネの期待を裏切るものでした。そこにはヨハネのメシア像と主イエスご自身との間に大きな隔たりがありました。主イエスにとってのメシアとは、「神の国」をもたらす存在で、病人がいやされ、障がいを持つ人が治されていることこそ、「神の国」がもたらされたことのしるしでした。それによって根源的な悪が取り除かれ、罪からの解放が実現したことが明らかにされました。わたしたちも、主イエスが実現してくださることと、わたしたちの思いとの間にギャップがあることがあります。自分が期待していたことが実現しなかったり、願っていたとおりに道が開かれないと、落胆してしまうのです。しかし主イエスは、わたしたちにとって最善のことを実現してくださいます。それが自分の期待通りのものではなく、祈り通りではなかったとしても、主イエスがしてくださることに信頼していきましょう。