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7月26日(ルカ7章1~10節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ7章1~10節 イエスを驚かせた信仰〕

 彼(イエス)は、彼のすべての言葉を民の耳の中に満たした後で、カファルナウムの中に入って行きました。すると、ある百人隊長の奴隷が病気にかかっていて、死にかかっていました。彼は彼(百人隊長)にとって重要(な人物)でした。彼(百人隊長)はイエスのことを聞いたとき、彼の奴隷を治すために彼(イエス)が来るようにと彼にお願いするために、彼の許にユダヤ人の長老たちを遣わしました。そこで彼らはイエスのところにやって来て、「彼はこのことをかなえてやるのに値する人です。なぜなら彼はわたしたちの国民を愛し、彼自身がわたしたちのために会堂を建ててくれました」と言いながら、彼に熱心に懇願しました。そこでイエスは彼らと一緒に行きました。

ところが彼(イエス)がもうその家から遠く離れてはいなかったとき、百人隊長は彼に言うために友人たちを送りました。「主よ、あなたが労を取ることがありませんように。わたしはわたしの屋根の下にあなたが入って来られることの値打ちがない者です。わたし自身があなたのところへ行くのもふさわしくない者です。しかしお言葉を言ってください。わたしの僕がいやされるようにと。わたし自身も権威のもとに置かれており、わたし自身の下にも兵士を持っています。そしてこの者に『行け』と言うと、彼は行きますし、別の者に『来い』と(言うと)、彼は来ます。そしてわたしの奴隷に『これを行え』と(言うと)、彼は行います。」イエスはこれらのことを聞くと、彼に驚きました。そして彼の後について来ていた群衆を振り返りながら、言われました。「わたしはあなたがたに言います。わたしは、このような信仰をイスラエルの中に見つけることはありませんでした。」そして送られた人たちがその家に戻ったとき、その奴隷は元気であるのを見い出しました。

 ( )は説明のために付加した言葉で原文にはない。

 

 百人隊長はカファルナウムで行われていた主イエスの御業、病人の癒しや悪霊追放などの奇跡を見聞きしていたのでしょう。自分の僕が病気で死にかけている時、主イエスに癒しを求めます。しかし同時に彼は、主イエスの教えに権威があることを知っていました。病気の癒しや悪霊追放が、主イエスの権威ある言葉による御業でもあることを理解していた百人隊長は、主イエスに癒しの言葉を願います。彼は自分自身もローマ帝国の権威を帯びた者であり、その権威に基づいて部下の兵士が自分の言うことを行うことを了解していました。しかもその権威は、自分と部下との間の信頼関係に基づくものでもありました。そこで彼は主イエスに言葉を求めました。彼は主イエスが語る言葉には権威があり、それを実現する力があることに心から信頼していたからでした。その権威は、空威張りするだけの根拠のない空疎な権威ではなく、語ったことがそのまま実現するという実質を伴った権威でした。しかもその実現の背後には主イエスの深い憐れみと恵みの意志がありました。だから百人隊長は、その憐れみに満ち恵みに溢れる主イエスの権威に寄りすがろうとしたのです。それは主イエスを人格的に信頼するということでした。信仰とは信頼です。主イエスを人格的に信頼し、寄り頼んで生きていこうとすることです。それが主イエスを驚かせた信仰でした。わたしたちも主イエスを信頼し、心から寄り頼んでいきたいと思います。