6月28日(ルカ6章39~42節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ6章3942節 自分の目の中の梁を取り除け〕

 そこで彼(イエス)は彼らに譬を話されました。「目の見えない人が目の見えない人を手引きすることはできない。二人とも溝に落ちるだろう。弟子は(自分の)先生以上ではない。しかし誰でも十分に整えられるなら、彼の先生のようにはなれるだろう。

 ところであなたは、あなたの兄弟の目の中の木屑を見分けるのに、どうして自分自身の目の中の梁〔丸太〕に気づかないのか。あなたの兄弟に対して、『兄弟よ、あなたの目の中の木屑を取り出させてください』と、どうして言うことができるか。あなた自身はあなたの目の中に梁〔丸太〕を見ないのか。偽善者よ、まずあなたの目から梁〔丸太〕を取り出しなさい。そうすればその後、あなたの兄弟の目の中の木屑を取り出すために、よく見えるようになるだろう。」

 ( )は説明のために付加した言葉で原文にはない。〔 〕は別の訳。

 

兄弟の目の中にあるのは木屑、しかし自分の目の中にあるのは梁が入っているという、極端な対比の譬を主イエスは話されました。相手の小さな欠点や欠けに目がいって、それを非難するのに忙しいわたしたちに対する痛烈な皮肉です。自分の目の中に梁が入っていたら、相手の目の木屑など取り払いようもありません。まず自分の目の中の梁を取り除き、それから相手の目の中の木屑を取り出してやれということです。分かりやすい例話ですが、いざ自分自身のことになるとこのことを忘れて、他人の非難や中傷に忙しくなるわたしたちです。ここで主イエスは他人の目の中の木屑を取り出すのはやめよと言われているわけではありません。しかし目の中の木屑、塵を取り出すのはとても繊細な仕事で、こちらがはっきりと見えていなければできません。他人の前に、まず自分自身をよく省みなさいというのが主イエスの言おうとされる主旨です。他人の欠点をあげつらい、批判し、中傷し、陰口を語り、断罪する前に、まず己自身をよく省みる心を与えられたいと思います。そうするならば、相手の欠点に我慢がならないという気持ちから解放されて、その人をもう少し優しい気持ちで受け入れていくことができるようになり、より良好な人間関係を構築していくことができるようになるのではないでしょうか。それ以上に心の目が開かれることで、今自分に与えられている神の恵みの素晴らしさを見ることができたらと願わされます。