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6月21日(ルカ6章37~38節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ6章3738節 自分の量る量りで量り返させる〕

 あなたがたは裁いてはならない。そうすればあなたがたは決して裁かれない。あなたがたは断罪してはならない。そうすればあなたがたは決して断罪されない。あなたがたは赦し続けなさい。そうすればあなたがたは赦されるだろう。あなたがたは与え続けなさい。そうすればあなたがたは与えられるだろう。押し込まれ、ゆすり入れられ、あふれるほどたっぷり盛られた良い量りを(人々は)あなたがたの懐の中に与えるだろう。というのは、あなたがたが量り続けている量りで、あなたがたは量り返されるだろうからだ。

 ( )は説明のために付加した言葉で原文にはない。

 

主イエスは「裁いてはならない、断罪してはならない」と言われました。わたしたちは何と安易に他人の一面だけを見て一方的に決めつけたり、裁いたりすることでしょうか。それを心の中で思うだけではなくて、口に出して批判したり、中傷したりします。さらには別の人と悪口を共有して仲良くなったり、逆に言い合いをしたりします。わたしたちはどれほど口の災いに毒されていることでしょうか。それは口だけの問題ではありません。「人の口からは、心にあふれていることが出て来る」と主イエスは言われました。人を裁き、非難する言葉の背後に、そうした思いが心に宿っています。わたしたちは自分の心そのものが聖められる必要があることを痛感させられます。わたしたち自身、やがては神の前に立って裁かれる身です。そのことを覚えて人を安易に裁くことを慎むべきです。むしろ「赦し続けなさい、与え続けなさい」と主は言われました。そこには相手に対する否定的な思いではなく、積極的に関わって行こうとする肯定的な思いがあります。相手を赦し、その必要に応えて与えるためには、相手に対する愛が必要です。主は懐にあふれるほどの量りで報いられることを約束されました。その中でわたしたちはわたしたち自身に対する神の量りの大きさ、憐れみの大きさへと思いを向ける必要があるのではないでしょうか。わたしたちは、自分が量る量りで自分自身が量り返されることを覚える必要があるのです。