6月14日(ルカ6章32~36節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ6章3236節 神が憐れみ深くあるように〕

 たとえもしあなたがたが、あなたがたを愛してくれる人たちを愛したとしても、あなたがたには一体どんな恵みがあるだろうか。なぜなら罪人たちもまた彼らを愛してくれる人たちを愛する。またたとえあなたがたに良いことをしてくれる人たちに良いことをしたとしても、あなたがたには一体どんな恵みがあるだろうか。罪人たちも同じことをしている。またたとえあなたがたが受け取る[返してくれる]ことを期待できる人に貸したとしても、あなたがたには一体どんな恵みがあるだろうか。罪人たちも同じものを返してもらうために罪人たちに貸している。むしろあなたがたはあなたがたの敵たちを愛し続けなさい。そして善を行い続けなさい。またあなたがたは誰に[]も返されることを期待しないで貸し続けなさい。そうすればあなたがたの報酬は大きくされる。そしていと高き方(=神)の子とされる。彼(いと高き方)は寛大でない者たちや邪悪な者たちに対しても恵み深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深くなりなさい。

( )は補足のための説明で原文にはない語、[ ]は別の訳

 

 「あなたがたの敵たちを愛し続けなさい」と言われた主は、「あなたの頬の上を打ちたたく者には、また別の(頬)を差し出しなさい」とも言われました。そればかりか、自分を愛し、良くしてくれる人たちだけではなく、敵を愛し、親切にするようにと求められました。そしてそのしめくくりに「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深くなりなさい」と命じられました。わたしたちはたしかに相手に対して親切で憐れみ深く接しようと努力しますが、それは相手の態度如何によって変化するものです。相手との関係が良好な時には、こちらも親切に接しますが、そうではなくなると相手に対する態度も変わってしまいます。しかし主イエスは、わたしたちに敵対してくる人に対しても親切に接するようにと求め、その根拠を天の父におきました。天の父は、善人にも悪人にも等しく恵み深くあります。だからわたしたちも天の父のように憐れみ深くありなさいと求められるのです。わたしたちは相手が自分に為す悪事にいきり立ち、侮辱に憤り、理不尽な対応に怒りを抱きがちですが、そうして相手と自分との関係だけを見つめるのではなく、その両者を引き合わせている天の父へと思いを向けるようにと主イエスは促されるのです。かつては敵であったわたしたちをも、天の父は赦し、受け入れ、祝福してくださいました。わたしたちも同じように相手に対して憐れみ深く接していくことが求められていくのです。