· 

第36課 希望が潰え去る嵐の中で

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第36課:希望が潰え去る嵐の中で(使徒言行録27章1~44節、2011年12月18日)


《今週のメッセージ:共にいてくださる主への信頼(イザヤ書43章1~2節)》

 パウロはローマに向かうことになります。しかしクレタ島海上付近で嵐に遭遇し、「暴風が吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせ」てしまいます。二週間も嵐に翻弄され、誰もが助かる希望を失っていたとき、しかしパウロだけはただ一人、大丈夫だと人々を勇気づけます。この状況の中で、どうしてパウロは平安でいることができたのでしょうか。それは天使がパウロに現れて言った約束にありました。「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」。この嵐のただ中にあっても、必ず守られ、助けられることを、神が約束してくださったのです。そこでパウロは、「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります」と励ますことができたのでした。「わたしは神を信じています」、この一語にパウロの平安の源がありました。そしてその根拠こそ、コリントで言われた「わたしがあなたと共にいる」という主の約束でした。苦境のただ中でもなおパウロを立たせられ主は、わたしたちにも約束してくださいます。「わたしがあなたと共にいる」と。この約束の上に立っていきましょう。


1.エルサレムでの逮捕・苦難とカイサリアへの移送

 エルサレムに着いたパウロたち一行を、エルサレム教会の兄弟たちは彼らを喜んで迎え入れます。そして翌日パウロが、主の兄弟ヤコブと教会の長老たちに会い、「自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを詳しく説明」すると、人々は神を賛美したのでした。しかしそこでヤコブはある提案をします。エルサレム在住のユダヤ人キリスト者たちは、「皆熱心に律法を守って」おり、その代表格として教会の指導者となっていたヤコブから見ると、各地から聞こえてくるパウロの評価は眉をひそめるものでした。パウロは「異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えている」とうわさされていたからでした(使徒21章20、21節)。そこでヤコブは、パウロについてのうわさが「根も葉もなく・・・律法を守って正しく生活している」ことを立証するために、神殿で清めの儀式を行い、またとりわけ敬虔な業とされていたナジル人の誓願の代価を支払うことを提案したのでした(同21章20~24節)。しかしこのヤコブの提案があだとなってしまいます。清めの儀式のために神殿にいたパウロを、アジア州から来たユダヤ人が見咎め、異邦人を境内に招き入れて神殿を汚したことと、彼が「民と、律法と、この場所(神殿)を無視することを、至るところでだれにでも教えている」と訴えて群衆を扇動して、パウロを捕らえ、「境内から引きずり出し・・・パウロを殺そう」としたのでした。その混乱を知ったローマの守備隊は直ちに出動し、パウロを逮捕して鎖で縛りつけると共に、騒動の原因を聞きだそうとします。


 しかしパウロを殺そうとする群衆の騒がしさで、混乱の収拾が困難になりそうになった千人隊長は、パウロを守備隊の置かれていたアントニオ砦へ連行しようとしますが、熱狂した群集によってパウロはなおも殺されそうな勢いで、兵士にかつがれていきます。兵営に連れ込まれそうになったときパウロは、そこで人々に弁明しようとしますが、人々がますますわめき立てて混乱するばかりだったので、真相を聞き出すために千人隊長はパウロを鞭で打ちたたくことを命じ、兵営の中に連行されますが、パウロがローマ市民であることを知ると、手荒な扱いはしないようになります(同21章26節~22章29節)。翌日、最高法院に連行されたパウロは、議員の前で弁明しますが、ファリサイ派とサドカイ派の対立を引き起こし、兵士によって力づくで助け出されます。そしてその夜パウロは、主から「勇気を出せ」と、ローマでも証しをすることが約束されます(同22章30節~23章11節)。しかしパウロに対する陰謀が謀られていることが、パウロの甥によって千人隊長に報告されると、千人隊長はその夜のうちにパウロを総督のいるカイサリアへと移送します。そして総督フェリクスは官邸にパウロを留置する処置を取るのでした(同23章12~35節)。


2.カイサリアでの幽閉と裁判

 総督フェリクスの前に引き出されたパウロは、国家反逆と社会騒乱の罪で訴えられます。パウロは「ナザレ人の分派」の首謀者であることを認めますが、訴えられている罪状については「事実無根」だとしりぞけます。このフェリクスの許で、パウロは二年間監禁されたままとなるのでした(同24章1~27節)。こうして後任のフェストゥスは、パウロの審問を開始し、ユダヤ人たちはパウロについて「重い罪状をあれこれ言い立て」て訴えますが、それを立証することはできませんでした(同25章7節)。なぜなら彼らの訴えは、「事実無根」(同25章11節)だったからでした。パウロも、自分には罪がないことを弁明します(同25章8、10節)。そしてこの一連の裁判を通して明らかになることは、法に照らしてパウロには何ら訴えられるような罪はなく、パウロは無罪だということでした。そしてそれを、他でもない裁判官であるローマ総督自身が何度も認めているのです。そこでフェストゥスは、ユダヤ人の関心を買おうとして、エルサレムでの審問という提案をしますが、パウロはそれを拒絶し、皇帝に上訴します(同25章1~12節)。しかし未決囚を皇帝ネロの許へと送致するに当たり、訴状理由が明確でないことに困惑したフェストゥスは、カイサリアに滞在していたアグリッパ2世の助けを借りようと、アグリッパの審問を受けさせます(同25章13~27節)。その審問の終わりにパウロは、「王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、わたしのようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」としめくくります。こうしてフェストゥスはもちろん、アグリッパもパウロが無罪であることを確認するのでした(同26章1~32節)。


3.ついに助かる望みは全く消えうせ

 こうして総督フェストゥスやヘロデ・アグリッパ二世の目には、パウロはまったくの無罪で、釈放に価すると思われましたが、パウロ自身が皇帝に上訴したために、ローマに護送されることになりました。百人隊長ユリウスの手に渡されたパウロは、未決囚としてローマに向かいます。カイサリアからシドン、キプロス島、ミラを経て、クレタ島の「良い港」に着いたパウロですが、そこで航海の経験豊富なパウロは、「断食日」(贖罪日、第七の月の十日)以降の航海は危険であると知っていたので、その港にとどまることを提案しますが、大多数の意見によりフェニクス港に向かうことになります。パウロの予測どおり、ほどなくエウラキロン(台風やハリケーンのようなもの)に遭い、二週間漂流し、ついに浅瀬に乗り上げて難破するという、大変な航海の様子が記されています。実はパウロが遭難したのは、これが初めてではありませんでした。第三回伝道旅行の際、マケドニアから書き送ったコリントへの手紙の中で、パウロは自分がこれまで受けてきた苦難がどのようなものであるかを縷縷述べるくだりで、「難船したことが三度、一昼夜海上を漂ったこともありました」と語ります(2コリント11章25節)。船が難破して、救出されるかどうかも分からないまま一昼夜海上を漂い、からくも助けられたという経験をすでにしているのでした。しかしこの度の暴雨・嵐は、これまでのものとは違う、非常に危

険なものだったことが、使徒27章20節の言葉に要約されています。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」と。ここでの主語が、「わたしたち」となっていることに注意してください。それはこのローマへの航海に、使徒言行録の著者であるルカも同行しているということです。そしてルカによれば、それはもはや「助かる望みは全く消えうせ」るほどの嵐なのでした。当時の航海は、太陽や星を手がかりにして方角を知るものでしたから、その太陽や星が見えないといくことは、単に真っ暗闇が続いて不安に恐怖をあおるということだけではない、そもそも自分たちがどこにいるのかも、どこに向かおうとしているのかを知る手がかりがない、その意味でも不安であるばかりか、恐怖のどん底に突き落とすような状況に置かれていたということでした。激しい暴風が吹きすさんでなりやまない、いつ終わるか分からない恐怖の中で、船は大波の中をもてあそばれるようにして翻弄されながら、幾日も遭難しつづけていた、その恐怖は経験した者にしか分からないほどのものだと言うことができます。湖や内海ではなくて外海を航海した経験のある人は、風や波でわずかに揺れるだけでどれほど恐ろしさを感じるか分かると思います。ましてやそれは嵐です。しかもそれは並みの嵐ではなくて、「『エウラキロン』と呼ばれる暴雨」、つまり台風やハリケーンのような嵐でした。


 詩編にも嵐に悩まされた人の祈りが記されています。「彼らは天に上り、深淵に下り、苦難に魂は溶け、酔った人のようによろめき、揺らぎ、どのような知恵も呑み込まれてしまった」と(107編26、27節)。海では、船は横に揺れるだけではなくて、縦にも揺れます。上下左右に揺れる、その振幅が激しい中で、高波の時には30メートルほどにもなると言われていますから、十数階建てのビルからまっさかさまに落とされるようなものです。それがここで「天に上り、深淵に下り」という言い方で表現されているものです。まさしく生きた心地もしないといったありさまなのでした。船がいつまでこの激しい波に持ちこたえることができるか、そのうち船は波に打ち砕かれて木っ端微塵になってしまうかもしれません。大波に襲われて船が転覆し、荒れ狂う海に投げ出されてしまうかもしれません。またこのあたりの海域は、浅瀬が多く、船が座礁することが多かったので、暗礁に乗り上げて、船が壊れてしまうかもしれません。いずれにしても、助かる見込みはほとんどありませんでした。ですからこの度の嵐では、さしもの船乗りたちも観念してしまったようです。嵐に遭ったとき、船を軽くするために積荷を捨てることは、ありうることです。しかし彼らは何と船具まで捨ててしまったのです。船具を捨ててしまったら、万が一にもこの嵐を乗り越えたとしても、その先の航海が不可能になってしまうということです。自らの手で船具まで投げ捨ててしまったということは、船乗りたちがもはやこの嵐から助け出され、奇跡的にでも救出されるという、一縷の望みさえ断念してしまったということを意味しています。こうして船乗りはもちろん、船に乗っていたすべての者たちが、「ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」と考えたのでした。ただ一人を除いて。そうです。パウロ以外はでした。他の乗客や船乗りたちが恐怖に駆られ、不安におびえることは、致し方ないかもしれません。しかしここには信仰者も乗船していました。パウロが迫害と困難に出会ったとき、いつも共にいたアリスタルコ、そしてルカです。他にもいたはずでした。ところが彼らさえ、思いは同じでした。「ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」と言っているのは、他でもないルカ自身なのです。彼らの絶望ぶりは、彼らが二週間も食事をすることができず、食事が喉を通らなかったことによっても、窺い知ることができます。「今日で一四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました」(同33節)。不安の中で、とても食事をする気にもなれなかったのです。おそらくは、夜もおちおち眠ることができなかったのではないでしょうか。自分たちがどこにいるのかも分からず、どこに流されているかも知らず、真っ暗闇の中で暴風が続き、激しい波風に翻弄されて船が上下左右に激しく揺れ動く中、いつ転覆し、いつ難破するか分からない中で、とても食事することも、眠りにつくこともできないまま、二週間も生きる望みを無くして恐怖に駆られて過ごしていたのでした。276人のほとんどすべての人がです。パウロ一人を除いては。


4.人生の嵐に翻弄される中で

 自分が今どこにいるのか分からず、どこに流されていくかも分からない、手がかりも何も見えない真っ暗闇の中で、激しく翻弄され、食事も喉を通らず、夜も寝つくことができない彼らとは、わたしたちのことではないでしょうか。わたしたちも同じような人生の嵐に遭遇することがあるからです。彼らも初めから嵐に遭うなどと予想していたわけではありませんでした。「人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ」出航したのです(同13節)。出だしは順調で、滑り出しは快調でした。よもやこれほどのひどい嵐に遭遇するとは夢にも思っていなかったのです。人生の嵐も同じです。誰もが自分の人生を順風満帆だと確信して始めていくのです。結婚しかり、就職しかり、家庭しかり、事業しかりです。きっとうまくいく、いやうまくやってみせる、そう確信して事を始めるのです。そこそこの波風なら、それでも何とか乗り越えていくことができました。だからそこで自信をつけてさらに先を進んでいくことができました。しかしそこで思いもかけない人生の嵐に遭遇してしまうことがあるのです。それでもこれまでは、この嵐と言える出来事さえも何とか乗り越えてきました。痛い目にあったけれど、いい勉強をしたなどと、まだ余裕を持って考えることもありました。そうやって一波、一波越えていくうちに、いきなりとんでもない大波に襲われてしまうのです。それは、今まで一生懸命に築いてきたものが一瞬のうちに崩れ去り、自分が一番大切にしてきたものが、あっという間に奪い去られていくような暴風です。これさえあれば大丈夫だと思っていた、自分の人生の土台や基盤が激しく揺れ動いて、もはや何の役にも立たなくなってしまうことに直面するのです。一生懸命に尽くしてきた会社が倒産し、信頼していた人に裏切られ、愛する人を失い、あてにしていた生活の基盤が崩れ、幸せだと思っていた家庭がもろくも崩壊し、思いもかねない大病に見舞われ、一家の大黒柱が倒れてしまう・・・。そうやって、突然わたしたちは人生の嵐の中に投げ込まれてしまうのです。積荷を捨てるとは、これまで一生懸命に自分が蓄え築いてきたものです。それが失われてしまう。船具を捨てるとは、これから先の人生に必要な手立てです。それもなくしてしまう。そうして「ついに助かる望みは全く消えうせ」てしまう中で、食事も喉を通らない日を過ごします。不安が心を支配して、夜も眠れなくなってしまう。あれやこれやと思い悩む中で、何度も寝返りを打ちながら寝ようとしても寝つかれず、外が白々となってきて朝を迎えることもある。これから先自分がどうなっていくのか分からずに、暗中模索の中で、心が陰鬱になってしまうのです。度重なる問題の前に、もう生きていく気力すらなくしてしまい、朝が来なければいいのにと思うことさえあります。熱心で忠実な信仰者であったアリスタルコやルカでさえも、この嵐の前では「ついに助かる望みは全く消えうせよう」としていました。しかしわたしたちには彼らを笑うことはできません。それはわたしたち自身だからです。しかしその中で、ただパウロ一人だけは元気だったのでした。


5.「わたしはあなたと共にいる」との主の約束

 なぜでしょうか。パウロは物事を楽天的に考える天性のようなものが備わっていたのでしょうか。生来、天真爛漫で、おめでたい人間だったのでしょうか。船乗りさえ、いや船乗りだからこそかもしれません。この先の起こり来る危険を一番よく承知していたのは彼らでしたから。誰もが助かる望みを失っていたとき、パウロは一人、大丈夫だと人々に話しかけけ、勇気づけようとしているのです。ルカは、そのパウロの元気の源がどこにあるか、平安の根拠がどこにあるかを記しました。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ』」(同22、23節)。神が約束してくださったのです。この嵐のただ中にあっても、必ず守られ、助けられるということを。なるほどそうか。パウロはこのような約束をいただけたから、嵐の中でも一人元気でいることができたのだと。それはそうなのですが、よく考えてください。せっかく天使が現れながら、その天使がパウロを助けてくれたわけではないのです。ペトロのように牢から助け出してくれるといった奇跡は、ここでは起きないのです。せっかく現れたのなら、嵐を鎮めて助けてくれればよさそうなものですが、そうしてくれたわけではない。しかもこの約束をもらった後も、嵐はなお続き、しばらくはその激しさが静まることはなかったのでした。それから数日してやって、陸地に近づいたことが分かりますが、そこに無事にたどり着けるか、着いたとしても無事に助けられるという保証は何もなかったです。いいですか。パウロは、助かる見込みができたことで平安を与えられ、助かる確信を得て、元気になったのではありません。その見込みが少しもなく、その可能性さえ見えない中で、まだ嵐は少しもやまず、今なお激しく波風に翻弄されつづけている最中にあってもなお、パウロは元気だったのです。なぜでしょうか。パウロは、この神の約束を信じたからでした。「ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります」と(同25節)。


 パウロ一人に特別な約束が与えられたから、パウロは元気になれたのではなく、その約束を信じたからパウロは確信して立つことができたのです。「わたしは神を信じています」、この一語に、パウロの力と確信と平安の源があったのでした。そしてこの信仰のよりどころとなったのは、主ご自身がパウロに現れて励まし、約束を与えてくださったことに基づいているのです。エルサレムの神殿で危うく殺されそうになり、ローマの軍隊に監禁され、最高法院での裁判を受けたとき、「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』」(同23章11節)。なにより、アテネから意気消沈してコリントにやって来たとき、何を語ったらよいかも分からないまま、伝道を開始したときに、「主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない』」(同18章9、10節)。このとき以来パウロが持ちつづけることができたのは、「わたしはあなたと共にいる」という主の約束なのでした。この激しい嵐のただ中にあっても、この約束は変わることがありませんでした。パウロは自分だけがこの嵐に悩まされ、苦しめられているのではなく、この嵐のただ中にも主は共にいまし、苦しみの中を共にいてくださっている、だから神の約束を信頼することができ、確信をもって大丈夫だと友を励ますことができたのでした。パウロの平安の根拠は、「わたしはあなたと共にいる」という主の約束でした。そして大切なことは、パウロがこの約束を信じたということです。「わたしはあなたと共にいる」という主の約束に依り頼んでいったのでした。


 この約束は、パウロ一人だけに与えられたものではなくて、主を信じるすべての者にも与えられています。激しい嵐のただ中で、しかしそこに主が共におられる、そして主が守ってくださるという経験は、弟子たちに共通の経験でした。ガリラヤ湖で嵐に見舞われたときがそうでした。その嵐は、突然の嵐で、弟子たちはよもや嵐に出会うなどとは予想もしていませんでした。その船には、ガリラヤ湖を自分の庭のようにして育った漁師が四人も乗り

合わせていましたが、なんとその彼らが言った言葉は、「先生、先生、おぼれそうです」というものだったのです(ルカ8章24節)。長年の経験をつんだ、しかもベテランの漁師がいたのです。しかし彼らをもってしても乗り越えることができない激しい嵐に直面し、すっかりうろたえてしまったのです。必死になって水を外にかき出しながら、もはや舵も帆も何の役にも立たず、大波を受けて転覆するのは時間の問題かと思われた、そこで彼らは必死になって叫んだのです。「先生、先生、おぼれそうです」と。この叫び声は、わたしたちのものではないでしょうか。「主よ、もう終わりです。わたしの人生も、わたしの命も、わたしの家庭も、もう終わりです」。たしかにそこで弟子たちが遭遇した嵐は、半端なものではありませんでした。ある程度の嵐なら、ペトロやヨハネにはおてのものだったはずだからです。その彼らが絶望し、観念してしまうほどの嵐でした。そしてその先に何があるかも、予想できました。それは事実です。しかし彼らはそこでもう一つの大切な事実を見落としていました。激しい嵐の中で、波間を漂い翻弄されるこの小船に、主イエスが共にいてくださっているという事実です。たしかに嵐そのものはいつになく激しく、彼らの手を余るほどのものでした。そして船は小さく、それに耐えられそうもありませんでした。彼らが恐れて叫ぶのも無理はありません。しかしまさにその小さな小船に、主イエスが共に乗り込んでくださっていたのです。そして、嵐に遭わない場所が安全なのではなくて、主が共にいてくださる場所こそが最も安全な場所なのでした。


 パウロはそのことを信じたのです。もはやだれ一人助かる希望をうしなってしまう嵐の中で、しかしこの嵐の中を、主は共にいてくださる、そして主が共にいます場所こそ、最も安全なのだと確信したのでした。わたしたちの信じる神は、わたしたちだけが苦しみ、悩み、迷うように歩むことを許される神ではなくて、わたしたちと苦しみを共にし、共に悩みながら、行くべき道を歩ませてくださる、そのためにわたしたちと共に歩んでくださる神なのです。それがクリスマスの出来事でした。わたしたちの苦しみ、わたしたちの悩み、わたしたちの絶望をご自分のものとするために、神が人となってお生まれくださったのです。そしてどのような人生の嵐に行き悩み、苦しめられ、心つぶされる思いを歩むとも、そこに主が共にいてくださるという約束が、わたしたちを嵐のただ中で守り、支え、立たせていくものとなるのです。「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしはあなたを愛している。恐れるな、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ43章1~5節)と約束してくださる方の守りの御手が、いま直面している嵐のただ中にもおよんでいることを信頼して、たとえ嵐に悩まされるとしてもなお、そこで堅く立たせてくださる主の守りの中で、力強く歩んでいきましょう。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」。「わたしは神を信じています」、この一語に、パウロの力と確信と平安の源がありました。


6.「わたしは神を信じています」との信仰に立つ

 こうして船は二週間に渡って嵐に翻弄された後、ついに浅瀬に乗り上げて座礁します。そして泳いだり、板切れにつかまって、たどりついたのはマルタ島でした(同27章1~44節)。そしてそこでパウロは、島の長官の父親や島の住民を癒したことにより、不足することなく生活することができるようになります。三ヵ月後出港し、シラクサ、レギオン、プテオリを経て、ついに念願のローマに入ります。そのローマでパウロは、皇帝の判

決が下されるまでの間、自分で借りた家に住むことが許されます(同28章1~16節)。そしてそこにローマ在住のユダヤ人を招いて福音を語り、「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった」のでした。そこでパウロは、「神の救いは異邦人に向けられた」と宣言します。そして二年間、軟禁状態に置かれた間、「訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主

イエス・キリストについて教え続けた」のでした(同28章17~31節)。その後のパウロの足取りをたどることはできません。イスパニアへの伝道を果たした後、再び逮捕、監禁された後、ローマ郊外で処刑されたと伝承は伝えますが、定かなところは不明です。しかしそれでイエス・キリストの福音は語り伝えられなくなったのではなく、今日に至るまで伝えられ続けています。そしてこの福音はわたしたちの許にまで伝えられただけではなく、今度はわたしたちを通してさらに福音が広げられていくことが期待されています。わたしたちが生きた『使徒言行録』として、この書の続きを担っていくことが求められているのです。


 そしてパウロは、この数年後、ローマの郊外で処刑されて、その人生を終ります。刑場に引き立てられていった時パウロは何を思ったでしょうか。その時のパウロを支えたのが「わたしはあなたと共にいる」という主の約束だったのではないでしょうか。ステファノが処刑されて死のうとする時、「天が開いて、主イエスが神の右に立っておられるのが見える」と語り、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言って死んでいきました。パウロも同じ祈りによって、死に赴いていったのではないでしょうか。今年もいよいよ最後となりました。それでも今なお大きな問題に心悩ませているかもしれません。心を押しひしぐ重いにつぶれそうな思いであるかもしれません。安らかな思いで年を越すことができそうにないような、苦しい状況に見舞われているかもしれません。新しく迎える新年が、喜びと希望であるよりも、いつまで続くのかも分からないほど長いトンネルの続きにしか思えない、そんなわたしたちかもしれません。しかしわたしたちはここで確信し、立ち上がっていくことができます。そして新しい年を希望をもって迎えることができるのです。なぜならそれらの重荷をご自分のものとするために、この地上に降り来たり、そうした苦しみをご自身が共に背負ってくださるために、人となってくださったクリスマスの主が、わたしたちに約束してくださるからです。「わたしはあなたと共にいる」と。今なお抱えるわたしたちの重荷を、共に背負うためにお生れくださったクリスマスの主を、心から待ち望んでいきましょう。