· 

第35課 神の御心と人間の思い

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第35課:神の御心と人間の思い(使徒言行録21章1~16節、2011年12月11日)


《今週のメッセージ:神の御心と人間の思い(イザヤ書55章8~9節)》

 パウロには、エルサレムに行けば逮捕と投獄と苦難が待ち受けうけていることが、聖霊によって預言されます。そこで弟子たちはエルサレムに行かないように懇願しますが、パウロはそれを強行したように見えます。その結果は預言どおりの逮捕と投獄でした。それは神がせっかく御心を示されたにもかかわらず、それに従わなかった結果でしょうか。パウロと弟子たちには、同じ預言がされました。しかし彼らは正反対の理解をした、そこに問題がありました。どうしてでしょうか。それはパウロが、人間の思いを超えた大きな救いの御業を為さる神を信頼し、自分を委ねることができたのに対して、弟子たちは目先の問題に思いを向けて、人間的な判断に捕らえられてしまったからでした。御心を尋ね求めるとき、このことを覚える必要があります。たとえ御心を示されても、わたしたちはそれを自分に都合の良いように理解し、受けとめ、判断してしまう弱さがあるのではないでしょうか。パウロは様々なことを通される中で、起こり来る出来事を、狭くて小さな「自分の視点」からではなくて、すべてを支配し導いておられる大きな「神の視点」から見つめなおすようにされていきました。わたしたちも主の大きな御心に信頼していきましょう。


1.神の導きに従ってきたパウロ

 コリントでの1年半にわたる伝道によって、大きな教会を建て上げたパウロは、エフェソを経由してアンティオキアに戻ります。そして腰を落ち着ける間もなく、すぐさま第三回伝道旅行へと旅立っていくのでした(使徒18章18~23節)。今度はエフェソで約3年の間、じっくりと腰を据えて伝道し、そのため「アジア州に住む者は、だれもが主の言葉を聞く」ことになります(同19章1~22節)。しかしエフェソで騒動が持ち上がり、パ

ウロはマケドニア州へと旅立つことになります。そしてギリシア(おそらくコリント)に3ヶ月滞在した後、シリア州に向けて出発します(同20章1~3節)。それは「マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し」たからで(同19章21節)、エルサレムの「同胞に救援金を渡す」ため(同24章17節)、つまり「エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助する」ための救援金を渡すためでした(ローマ15章25~28節、2コリント8章1~4節参照)。そこでマケドニア州とアカイア州の教会の代表者たちとトロアスで落ち合い(使徒20章3~6節)、彼らと共にエルサレムへと向かっていきます。途中ミレトスでエフェソの長老たちと最後の別れをした後、ティルス、カイザリアへと戻って来たパウロたちでしたが、そこで預言を与えられます。


 これまでもパウロは、常に神の導きに従って歩んできました。アジア州で伝道を禁じられたパウロたちは、ビティニア州に行くことも禁じられたため、マケドニア州へと渡っていきます。それは「聖霊が禁じられた・・・イエスの霊がそれを許さなかった・・・神が召されていると確信するに至った」(同16章6~10節)とあるように、神の導きと聖霊に従ってのことでした。ですから第二回伝道旅行の際エフェソで引き止められたときに

も、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って断り、船出していきました(同18章21節)。このようにこれまでのパウロの歩みは、いつも「神の御心」に従ってのものであり、聖霊の導きによるものでした。それはパウロの生き方が、決して自分の思いや計画から、その先を進むということがなかったことを示しています。そしてここでも、その聖霊の導きが与えられます。ティルスでは、「霊に動かされた」弟子たちが、「エルサレムには行かないようにと、パウロに繰り返し言った」のです(同21章4節)。またカイザリアでも滞在したフィリポの家にアガボという預言者がやって来て、「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す』」と告げます(同11節)。そしてそれを聞いた弟子たちは、こぞって「エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」のでした(同12節)。ところがパウロはここで彼らの願いを退け、エルサレム行きを強行します。「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」と(同13節)。


 このパウロの言葉と姿勢は、聖霊の導きの中で「神の御心」に従い続けてきた、これまでの生き方と矛盾するように見えます。さらにうがった見方をすれば、ここでパウロは独りよがりな殉教者精神、あるいは誇大妄想的なヒロイズムにおちいっているのではないかとさえ見うけられます。わたしたちは、この後上京したパウロが、エルサレムで逮捕され、投獄、監禁、拘留されることを知っています。そのようにエルサレムに行けば、必ず逮捕と投獄と苦難が待ち受けうけていることは、聖霊が繰り返し警告してきたことでした。それにもかかわらず英雄を気取ったパウロは、人々の勧めはおろか、この聖霊による導きにさえも従わなかった、その結果エルサレムで逮捕され、投獄されてしまったのではないかというようにも見えます。パウロがエルサレムで逮捕されてしまったのは、これほど神が警告を与え、道を変えるように強く促したにもかかわらず、パウロがそれを拒絶し、神に従わなかった結果であり、それは神の御心に従おうとしなかった神の裁きであるということでしょうか。ここでも最後には弟子たちも口をつぐみ、「主の御心が行われますように」と言うばかりだったのは、パウロがどこまでも頑なで身勝手だったからでしょうか(同14節)。これは他人事ではありません。少なくともキリスト者であれば、何かことを判断するときに神の御心を尋ね求めますし、御心に従って生きていこうと願います。それこそが祝福と幸いの道であると知っているからです。わたしたちは色々な折に神の御心を求めますが、それがいつも明瞭に示されるとはかぎらないし、どちらの道を選び取ったらよいのか迷うこともあります。選び取った後も、確信がもてないまま歩み続け、何かそこで問題が起こると間違った道を選んだからではないかと悩んでしまうのです。ですから御心を知るということがどういうことなのか、わたしたちにとっては切実な問題ではないでしょうか。


2.御心に対する二つの正反対の理解

 ここでは、エルサレムでパウロの身に起こることが預言されます。アガボが預言したことは、パウロがエルサレムで逮捕され、異邦人に引き渡されるというものでした。またパウロ自身も、そのことを予告されていました。「わたしは、霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどの町でもはっきりと告げてくださっています」(同20章22、23節)。どちらも聖霊の預言です。そしてそのどちらも同じ内容だと考えてよいと思います。パウロに示された内容と他の弟子たちに示された内容が違っていたから、そこで両極端の判断に分かれてしまったということではないのです。この先エルサレムに行けば、パウロは逮捕され、投獄され、苦しみに会う、それが聖霊による預言の内容で、同じことが両者に示されたのです。ところが、その受け止め方において両者は分かれ、その預言の解釈が違っていった、そこに問題がありました。弟子たちは、エルサレムに行けばパウロは捕まえられる、それは危険だから、パウロはエルサレムに行ってはいけないという「警告」として解釈しました。しかしパウロは逆に、それにもかかわらず行くべきだと判断し、それこそが神の御心だと解釈したのです。パウロは、聖霊がエルサレムで自分の身に起こることをあらかじめ教えることによって、自分自身はもちろんのこと、他の弟子たちが、それを神の御心と理解し、受けとめ、信仰をもって、その後の道筋を神に委ねていくように促すために示されたということ、つまりこれから起こることについて、あらかじめ覚悟を決めておくための「予告」と理解したのでした。


 指導者パウロが逮捕され、異邦人に引き渡され、投獄され、苦しみに会うことは、弟子たちにとってはあまりにも大きなこととして受けとめられたことでしょう。そのことをすぐには受けとめきれない弱さがあり、それはまるで神の守りが薄らいだり、なくなってしまったからだと、彼らの信仰が揺さぶられかねない出来事となったことでしょう。あるいはそもそも異邦人に伝道するというパウロの働きそのものが間違っており、御心にか

なっていなかったから、神はパウロを捕らえさせたのだと、パウロに敵対する人々の意見を勢いづかせてしまうことになるかもしれませんでした。これから起こるパウロの逮捕という衝撃的な出来事を、どう受けとめることができるか、弟子たちと教会に、それに備える心構えを与えようとしたのがアガボの預言であり、パウロ自身に示されたことでした。ですからパウロは、この啓示を受けて、心がひるみ、弱ったのではなく、「しかし、自分に決められた道を走りとおし、また主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら惜しいとは思いません」(20章24節)と覚悟を決め、心を固めることができました。ですからこれは殉教者精神から出たヒロイズムや身勝手な英雄主義ではなく、あるいは自分が何かとてつもなく偉大な人物でもあるかのような誇大妄想にとりつかれてしまったということでもなく、たとえどんな苦難に出会おうとも、主のためにこの身と命を献げ尽くして生きていこうというパウロの覚悟であり、その信仰の言葉なのでした。


 ここでよく心に留めていただきたいのは、聖霊はパウロにも他の弟子たちにも、「同じ」ことを示されたということです。それにもかかわらず、両者は「正反対」の結論を出しました。「同じ」ことを示されながら、その受けとめ方が違ったからです。それについての解釈が分かれたということでした。アガボは、エルサレムでパウロにどんなことが起こるか、その出来事を予告しました。しかしだからエルサレムに行ってはいけないと警告したわけではありません。ところが弟子たちは、それを聞いて、パウロにエルサレムには行かないようにと必死に懇願するのです。神の御心は、パウロがエルサレムに行ってはいけないことだと彼らは判断し、解釈したからです。ところがパウロは同じことを、それも何度も示されながら、だからエルサレムへと行く覚悟を決め、そのことを心に固めていきました。エルサレムに行って自分が捕らえられ、苦しめられることが、神の御心だと確信したからです。それは降ってわいたようにして起きる思いもかけない事件ではなくて、そのことの背後に神の確かな導きがあることを知って、だからそれに信頼して従っていくことを決断し、その心を固めていったのでした。もし神がこのことを、突然パウロの身に起こされたとしたら、パウロでさえ、それをすぐには受けとめ、理解し、従うことは困難だったかもしれません。だから神は、パウロに繰り返しそのことを告げて、これからの出来事が決して神の御手から離れて起きた偶然の出来事ではなく、その後のことのすべても神が支配し、導いてくださることを確信させていったのでした。だからパウロは、これからのことを神に委ねて、その御心に従っていくことができました。しかしそれにしても、「同じ」内容の預言を受けながら、どうして「正反対」の判断、解釈、理解が生じてしまうのでしょうか。


3.神の視点からか人間の思いからか

 パウロは、自分がエルサレムで逮捕され、投獄されることの目的がどこにあるかを理解していました。自分はローマに行くことで、そこから主イエスの福音がさらに世界中に広げられていく、そこにそのような壮大な神の救いのご計画があることを知っていました。もちろんできれば自由な身でローマに行くことをパウロはこれまで願ってきたわけですが、神の御心はそのパウロの思いに反して、むしろパウロが鎖につながれた身でローマに行くことを示されます。しかしそれでは自由に伝道できないではないか、パウロが囚人であることは人々の躓きになるのではないか、おそらくパウロも主に繰り返しそのことを問い、祈り求めたに違いありません。しかしその祈り求めの中でパウロは、人間の理解や判断を越えた神の壮大な救いのご計画があり、それはパウロが捕らえられた身でローマに行くことだと受けとめられるようになっていったのです。だからパウロはこの啓示を受けたとき、それこそ神の御心であると信じ、受け入れることができました。パウロはすでにそのことを経験していました。エフェソで投獄された時、そのことを心配し、憂慮したフィリピの教会の人々に、パウロはこう書き送りました。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」と(フィリピ1章12節)。それはパウロが投獄されたことで、これまでは出会うこともなかったような人々、たとえばローマの兵士にさえ福音を語る機会が与えられ、さらに多くの者が「恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになった」からでした(同13~14節)。まさしく神の御心は、わたしたち人間の理解を超えています。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている」と語られているとおりです(イザヤ55章8~9節)。


 しかしパウロといえども、一足飛びにそのように受けとめられるようになったわけではないと思います。「投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げて」こられたと証言するとおり、神はパウロに繰り返し、そのことを示すことで、パウロが徐々に、その覚悟を決めることができるように励ましてこられたのでした。行く先々の町々で繰り返し苦難に会う中で、パウロ自身少しずつ強くされてきて、少しばかりの苦難や苦しみではへこたれない強さを少しずつ身につけさせられていきました。その中で、これから起こるさらに大きな苦難に立ち向かっていく勇気と強さを備えられて、それが御心であると示された時には、それに従順に従う心の用意がなされていたのです。神はわたしたちに、いきなり強烈な苦難や試練を与えられる方ではなく、それに耐えられる力を徐々に身につけさせ、強くしてくださるのです。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」と約束されているとおりです(1コリント10章13節)。こうしてパウロは、世界に広がっていく神の大きな救いの御業の視点から、自分の人生と働き、教会の行く末を見つめていったので、これから起こる自分の苦難と教会の戦いを受け入れることができました。


 しかし他の弟子たちには、それだけの信仰と大きな視野がありませんでした。もしパウロがいなくなったら教会はどうなるのか、伝道はどうなるのかと目先のことだけを判断し、考えて、エルサレムでのパウロの逮捕をなんとか阻止しようとしたのです。そして愛するパウロ先生にそんな恐ろしいことが起きてなるものかといった人間的な思いと感情から、彼らはパウロに懇願したのでした。しかしそんな彼らにパウロは、「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」とたしなめます(使徒21章13節)。「同じ」ことを示されながら、そこで「正反対」の理解が生まれ、解釈が生じる、そこでその受けとめ方が違ってくるということが起こるということを、心に留めていきたいと思います。他の弟子たちがこのように判断したのは、一言で言えば彼らが自分の思い、自分の願い、人間的な判断に捕らえられていたからでした。もちろんパウロだって一足飛びに、すぐに神の御心に従いえたわけではありませんでした。彼にも自分の肉の思いがあり、人間的な判断が先に立った、しかしそれを一つ一つ主に委ね、預け、任せていく中で、彼自身の思いが変えられ、考えも願いも変えられていったのでした。そして事柄を、狭くて小さな「自分の視点」からではなくて、すべてを支配し導いておられる大きな「神の視点」から見つめなおすようにされていったのでした。そしてその中で、これから起こり来ることのすべてを受け入れ、自分自身と教会の行く末を主に委ねつつ、安心して主に従っていくようにされてきたのでした。かつて主イエスが、これから自分は十字架にかけられて殺されることを予告されたとき、そんなことがメシアである主イエスの身に起こるはずはないとペトロが口をはさんで、主イエスからお叱りを受けたことがありました。それはペトロが期待するメシア、そして主イエスがそのような苦しみの主であるはずがないし、そうあってほしくはないというペトロの肉の思いから出たことでしたが、主はそれに対して厳しい言葉を語られます。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」と(マタイ16章23節)。わたしたちにも神の御心が示されたとき、それをどのように受けとめ、理解し、判断するか、そこでわたしたちも「神のことを思わず、人間のことを思っている」ということがないかどうか、良く吟味する必要があります。ルカたちがパウロの心を挫こうとしたのは、パウロを思う心からではありましたが、それはやはり神の御心ではありませんでした。神の御心を示されても、わたしたちはそれを自分にひきつけて、自分に都合の良いように理解し、受けとめ、判断してしまう弱さがあることをわきまえる必要があるのではないでしょうか。


4.神の御心を信仰をもって受けとめる

 民数記13、14章では、約束の地を前にしたイスラエルが斥候を遣わし、どんな地か偵察に出かけた人々の情報を聞く場面が記されています。そこは彼らよりもずっと背丈も大きく強い戦士が多い、難攻不落の場所でした。そこで十人の斥候は、とても攻めていくことはできないからエジプトに帰ろうと言い出します。彼らが伝えた情報は事実でした。確かにそこに住む住民は彼らよりずっと強く、大きく、彼ら自身の力ではとてもそこを占領することなどできるはずはありませんでした。ここでよく考えてください。彼らは誤った情報を流したわけではなく、正しい事実を伝えたのです。しかし問題はその次でした。だから攻め上ることをやめてすごすごと逃げ帰るのか、それともそこを占領できると約束してくださった主を信頼して、勇気を奮って攻め上っていくのか、なのです。ヨシュアとカレブの二人は、「断然上って行くべきです。必ず勝てます。主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない」(民数記13章30節、14章9節)と訴えました。彼ら斥候の伝えた情報は事実でした。しかしそれを、どのように受けとめ、理解し、判断するかは、わたしたち一人一人に問われているのです。自分の力では打ち勝てない、それは事実です。だから諦めてやめてしまうのか、それともそこで自分と共に戦い、勝利を与えてくださる主を信頼して、立ち向かっていくのか、どちらかなのです。「同じ」ことを示されても、「正反対」の判断が生じます。その違いは神への信仰です。自分の肉の思いからの判断か、それとも神を信頼したところからの、神の御心からの判断かの違いなのです。わたしたちは、神の御心を自分の思いで歪めて理解し、身勝手な判断をしてしまうことがあることに気づく必要があります。


 「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ、ここを歩け、右に行け、左に行け』と」(イザヤ30章21節)。新改訳では「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」となっています。神の御心を知り、それを確かめることは困難ですが、実はそれはすでにもう示されていることもあります。しかしわたしたちを、それを認めようとしない、あるいは受け入れようとしないで拒絶している場合があります。実は御心はすでに示されているにもかかわらず、神の御心が分からない、自分にはまだ何も見えないと考えます。しかし本当はそれがすでに示されており、それに薄々気づいてはいるのですが、それを神の御心だと認めたくない、そして受け入れたくないから、見えない、分からないと言っていることがあるのではないでしょうか。神の御心を自分の思いの中にからめとっていこうとする思いが、わたしたちの内にはないでしょうか。あるいは「自分のお心」を神の御心にしてもらうように、それを神に押し付けようとしているということはないでしょうか。たとえ神の御心がストレートに示されたとしても、それを素直に受け入れようとしない弱さがあるわたしたちです。わたしたちは、とことん自己中心さの中で生きているからです。そしてそこでは、神の御心と「自分のお心」との間に、大きなギャップが生じるのです。


 しかし神は、ご自分の御心を無理強いしたり、強制したりはなさいません。どうせ神の御心しか実現しないのだから、抵抗したって、祈ったって無駄だと考えるなら、信仰の何であるかを知らないことになります。神はご自分の意志を忍耐強くわたしたちに示されますが、それを強制したり、無理強いしたりはなさらないし、わたしたちが自分の思いで自分の道を進んでいく余地を与えてくださいます。そしてたとえ自分の思いの中で誤った道を選び取ったとしても、そこでなお忍耐強く、あるべき道へとわたしたちを導き、整えてくださるのです。そうしてわたしたちが、色々な所を通されることで、そのときには受け入れきれなかった神の御心を、少しずつ受け入れて、それに従っていけるように変えていかれるのです。パウロに忍耐強く働きかけて、訓練し、強くして、さらに大きな試練に耐える力を備えつつ、神の大きな働きのためにパウロを導いてくださった主は、わたしたちの人生の主でもあります。そして一歩ずつ一歩ずつ自分の行くべき道を示しながら、確かな道へと導き続けてくださるのです。ときにわたしたちは、主の導きを信頼しきれずにそれを拒絶してしまったり、神の御心を知りつつも自分の思いを選び取ってしまったりします。しかしそれでもなお神は、わたしたちの道をこれからも確かに導き続けてくださいます。その神を信頼して、自分の思いと心とを献げ、神の御心に従っていく者とされていくように、祈り求めていきましょう。ルカたちもパウロも、意見の折り合わない中で最後に共に語ったのは、「主の御心が行われますように」ということでした。わたしたちも、自分の思いと願いを主に委ねつつ、祈りたいと思います。「御心が天で行われるごとく、地でも行われますように」と。「わが行く道、いつ如何に、なるべきはつゆ知らねど、主は御心なしたまわん。備えたもう主の道を、踏みて行かん。一筋に」(讃美歌494)


5.「わたしの心を献げます。速やかに、心から」

 改革派教会の源流の一人であるジャン・カルヴァンの紋章は、自分の手の上に心を乗せた図柄で、それには「わたしの心を献げます。速やかに、心から」という言葉が添えられていますが、そこには深い意味がありました。「突然の回心」によって福音主義陣営に身を投じたカルヴァンは、まだ福音の何たるかもわきまえていない信徒のために『キリスト教綱要』(初版)を出版し、それは非常な反響を呼んでカルヴァンの名を不動のものとします。亡命を余儀なくされていたカルヴァンは、静かな学究生活を志してバーゼルに向かおうとしますが、戦争のため迂回をよぎなくされたため、一夜の宿をジュネーブにとります。しかしあの有名な『綱要』の著者がいることを知ったファレルは、翌日には旅立つはずだったカルヴァンを強引に引き止めて、ジュネーブの宗教改革に参加することを強要します。改革者になるなど思いもよらず、その資質も自信も無いことを理由に固く固辞するカルヴァンに業を煮やしたファレルは、カルヴァンを一喝します。「自分のことばかり考えて、キリストのことを考えないなら、神はおまえを呪うであろう」と。これを神からの声と受けとめたカルヴァンは、ジュネーブに留まって改革事業に参与することになります。こうしてジュネーブの改革に着手することになったカルヴァンでしたが、それは困難を極めた働きでした。結局カルヴァンらの努力は実らず、市当局および市民と対立したカルヴァンは、三日以内でという急な国外退去処分にふされ、石つぶてで追われるようにしてジュネーブを後にします。カルヴァン29歳の時でした。


 深く心傷つき、自信を喪失したカルヴァンは、様々な教会からの奉仕の依頼と招きを断わり続けますが、結局ブツァーの招きでストラスブールに行き、亡命フランス人教会の牧師となります。しかしそのときも、硬くなに固辞し続けるカルヴァンを、ブツァーはファレル同様に、どやしつけるようにして、改革事業に再び参加するように強要したのでした。しかしこのストラスブールでの働きも3年半ほどで終わりを告げることになります。混乱の極みに達したジュネーブが、再度カルヴァンを牧師として招くことにしたからでした。しかしカルヴァンにとって、ジュネーブほど心ひるませる場所はこの世にありませんでした。ジュネーブでの働きという「この毎日千回死ぬ目に合うのに等しいこの十字架につけられるよりは、別の死に方を百度受けた方がまし」とさえカルヴァンは語りました。しかしジュネーブをキリストの教会として改革するためには、カルヴァンがどうしても必要で、再びファレルが遣わされ、カルヴァン説得に当たります。カルヴァンにすれば、小さくはあるが忠実で熱心なストラスブールの亡命人教会牧師として、神学者としても、改革者としても充実していた毎日を考えれば、あのジュネーブに戻ることは、再び心悩ませる闘争へと身を置くことであり、最も願わしくない選択でした。しかし長い苦悶の末、カルヴァンは決心します。「もしわたしに選択の自由があるなら決してジュネーブに帰ろうとはしないだろう。しかしわたしはわたし自身の主ではないから、わたしは自分の心を神への供え物として捧げる」と。カルヴァン32歳の時でした。わたしたちはいかがでしょうか。わたしたちもカルヴァンと共に、「わたしはわたし自身の主ではないから、わたしは自分の心を神への供え物として捧げる」と、自分自身を主に献げていかないでしょうか。クリスマスを待ち望む季節、わたしたちのために天の栄光を捨てて、ご自身を献げてくださった主に、わたしたちも自分自身を献げていこうではないでしょうか。そして主の導きの御手に従って、生きていこうではないでしょうか。