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第34課 円熟期における深い挫折とそこからの回復

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第34課:円熟期における深い挫折とそこからの回復(使徒言行録17章32節~18章11節、2011年12月4日)


《今週のメッセージ:挫折と危機に際しての主の約束(使徒18章9~10節)》

 コリントに来たパウロは、「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」でした。アテネでの失敗にすっかり意気消沈し、自信を失って、語り出す言葉を見出すことができずに悶々としていました。この挫折は、パウロにとって大きな精神的打撃となりました。しかしそのパウロを立ち直らせたのは、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」という主の約束でした。自信を失くし、語る言葉を失い、苦しんでいたパウロにも、主が共にいてくださるのです。たとえどんな危機に直面しても、そこにも主は共にいて、助けてくださいます。それは迫害や敵意といった外的なものばかりではありません。内面的な危機にも直面します。自分の弱さ、自分の無力さ、自分の愚かさに、どうにも立ちいかなくなり、立ち往生することもあります。深い挫折の中で、しゃがみこんでしまうこともあります。しかしまさにそのような挫折のただ中にも、「わたしがあなたと共にいる」と約束してくださるのです。そのような内面的危機と共に、そこで立ちすくみ、へたりこんでしまう、そのあなたに主は共にいてくださるのです。そしてそこで弱り果てたわたし自身の傍らに寄り添い、共にいて、立ち上がらせていってくださるのです。


1.アテネでの福音宣教

 フィリピを追放処分となったパウロは、テサロニケ、ベレアで福音宣教をします(使徒17章1~12節)。しかしその先々でユダヤ人の反対にあい、町中の人々を巻き込んでの騒動が生じたため、シラスとテモテをベレアに残し、パウロは一人アテネにたどり着きます(同13~15節)。そして当時なおギリシア文化の中心地であったアテネでも、パウロは福音を語りました。哲学と芸術の都アテネ、それはこれまで訪れた町とはまるで違う、洗練された文化を誇る町でした。町の中央には小高いアクロポリスの丘がそびえ、そこにはゼウスを主神とするギリシアの神々が祭られた壮麗なパルテノン神殿が聳え立っていました。そして「アテネには、ギリシア全体を合わせたよりの多くの像がある」(パウサニアス)とあるとおり、街中は、様々な神々の立像・彫像で彩られていたのでした。「我々の地域は、神々がいっぱいだから、諸君は人に会うよりも神に会うほうが多いだろう」と皮肉られるほど(ペトロニウス)、「アテネでは、あらゆる様子のあらゆる材料の神と人の像が見られた」と言われました(リヴィウス)。このようにパウロがたどり着いたのは、「町の至るところに偶像がある」町でした。そこで憤りを覚えたパウロは、精力的に伝道を開始します。これまでユダヤ人の会堂を中心に伝道してきたパウロは、旧約聖書の預言するメシアがイエスであるということを論証し、その証拠としてメシアとして苦しみを受け、復活したことを語るもので、「十字架と復活」に集約される福音でした。しかしアテネでは、旧約聖書の知識がまったくない異邦人に向かって福音を語ります。しかも相手は、文化も教養も誇りも高いアテネ人でした。そこでは当時流行の哲学者たちとの論争もありましたから、これまでとはまるで勝手が違う中で、パウロは福音を語らなければなりません。「エピクロス派やストア派」は、いずれも当時流行の哲学派で、宇宙原理とは何かを思索するといった、これまでの抽象的な哲学とは違い、生きるとはどういうことかといった具体的な生活原理を追求する哲学でした。そして当時は、それぞれに自説を唱えて、辻つじに立っては喧伝し、それを生業とする説教師、講釈師の類が、巷に溢れており、パウロはそれらの一人として、彼らに対抗しながら福音を宣教していったのでした。


 ですからここでパウロは、まったく一般的な宗教論から始めて、異邦人が理解できる言葉で福音を語ろうと努力します。それがアレオパゴスの評議所での説教(同22~31節)でした。そこでまずパウロは、アテネの町に無数に乱立している偶像やその祠を見ながら、あらゆる神々の祭壇の中に、「知られざる神」に捧げられた祭壇を見つけます。それはもしかすると、まだ自分たちには知られていない神々がいて、その神にも犠牲を捧げないと祟りがあるというので、名も知られていない神のためにと築かれたものでした。そうしてすべての神々に礼を失することがないようにとのことですが、ここには彼らの不安が示されています。彼らは、自分が誰を拝み、信じているか、その相手を知らずに礼拝しました。またその神々にかなった礼拝を捧げているかどうか不安で、そこには絶えず祟られるのではないかという思いにさいなまれていたということです。その表れの一つが、「知られざる神」に捧げられた祭壇でした。それに対してパウロは、こうして彼らが知らずに拝んでいるもの、拝んでいるつもりで拝んでおらず、相手を知らずに拝んできた、まことの神とは何かを明らかにしようとしました。そしてまことの神は、わたしたちを祟ったり、呪ったり、裁いたりする神ではなくて、むしろわたしたちを恵み、愛し、祝福してくださる神であることを明らかにするのです。リストラでも、このように語りました。「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです」と(14章15~17節)。神々からの祟りと呪いに縛りつけられている人々に対して、パウロはその呪縛から解放するべく、まことの神を宣べ伝えていくのでした。


2.呼べば応えてくれる「まことの神」

 それは、「世界とその中の万物とを造られた神」だと。まことの神とは、「人間が造った神」ではなくて、「人間を造った神」であると。人間が勝手に心の中で製造し、捏造するような偶像ではなくて、むしろ人間を造られ、人間が神として拝んでいる太陽や月といった天地万物のすべてをも造られたのがまことの神なのだと。この神は「天地の主」なので、人間が「手で造った神殿などにはお住みになりません」し、「また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません」。人間の都合いいように、小さな場所に閉じ込められる神、人間が願い事をしたいときだけ神さまにお会いして、願い事をかなえさせるために造った神殿などに閉じ込められる神ではないということです。また神を養うためにお供えをし、供物や犠牲を捧げなければ生きていけない神でもありません。人間が神を養うのではなくて、神が人間を養ってくださるからです。「すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです」。そして神は、「彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができる」と約束してくださいました。「実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません」と言われるように、ある一定の場所にいかなければお会いできないような神、あるいはどこかに赴かないと祈ることができないような神なのではなくて、むしろわたしたちの方が、「神の中に生き、動き、存在」していると言われるのです。


 「あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば、『わたしはここにいる』と言われる」と約束してくださる神なのです(イザヤ58章9節)。「主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される(詩編34編18節)。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」(46編2節)。「主を呼ぶ人すべてに近くいまし、まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし、主を畏れる人々の望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださいます」(145編18、19節)。だからモーセも、「いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか」と驚嘆し、神を賛美しました(申命記4章7節)。このようにわたしたちは、この天地を創造し、今もそれを御手の内におさめて、支配し、導いておられる天地の主、全能の神の守りの中で、生きているのです。わたしたちの命の源は神ご自身にあり、そして生きていくために必要な全てのものは、神がわたしたちのために備えてくださるのです。それは体を支えるために必要なものばかりではなく、この弱い心、小さな信仰を支えられていくために必要なものも、備えられてくださるということです。そしてこの神は、わたしたちが「探し求めさえすれば、見いだすことができる」神なのです。パウロは、この生けるまことの神について語りました。ところがそれが「先にお選びになった一人の方」つまり主イエス・キリストのことへと話が及んだ時、「神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです」との言葉に聴衆は躓き、あざ笑いながら、その場を去っていってしまいました。


3.「十字架につけられたキリスト」のみを宣べ伝える

 こうしてアテネを去ったパウロは、コリントにやって来ます。使徒言行録では明らかになっていませんが、パウロはこの時ひどく意気消沈し、落胆し、自信をなくしていました。パウロは、コリントの地を踏んだこの時を振り返りながら、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」とコリントの教会に宛てて書いています(1コリント2章3節)。どうしてパウロがそんなにがっかりしていたかというと、それはアテネでの伝道がほとんど成果をもたらさず、失敗してしまったからでした。パウロは哲学的議論にたけたアテネの人々にあわせて、いわば「世の知恵」を用いて語りました。当時有名だった詩人や哲人の言葉を引用し、聖書やユダヤの伝統からではなくて一般的な事柄から、まことの神を語っていこうとしたのです。しかしそれは見事に失敗し、パウロの言葉に耳を傾ける者はごく少数で、信仰に至った人もわずかでした。そしてアテネの人々からひどく嘲笑された上に、話の途中で中座され、皆が退席してしまうという屈辱を味わわせられたパウロはすっかり意気消沈した思いで、逃げるようにしてコリントにやって来たのです。だからパウロは、コリントでは、「神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めて」いきます(同1、2節)。アテネで「世の知恵」を用いて語ったことが失敗したことを見て、「宣教という愚かな手段によって信じる者を救おう」とされる神の知恵を悟り、これからは「十字架につけられたキリスト」だけを宣べ伝える決心をしたからでした(1章21~25節)。


 これまでパウロが語ってきた福音は、いつも「十字架と復活」でした。ところがアテネでは、「復活」については語られましたが、「十字架」については語られませんでした。パウロがどうして「十字架」について語らなかったのか、その理由は分かりませんが、同情することはできます。なぜならローマ社会に生きる人々にとって、「十字架」は躓き以外のなにものでもなかったからです。「十字架」とは、犯罪人それも極悪人に対する極刑でした。当時の人々にとっては、嫌悪と憎悪、恥辱と侮蔑を象徴する十字架につけられて処刑された「犯罪人」を、救い主とも神とも信じるわけですが、それをそのまま語ったら、かえって人々から反発と無理解を被るに違いないことも必定でした。だから聖書について何の知識ももたないアテネの人々には、「十字架」を抜かした話をしたのかもしれません。しかしそれがかえって良くなかったことに、パウロは気づき、深く反省したのだと思います。そこでパウロは、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。・・・わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」ときっぱり言い切るようになったのでした。


4.意気消沈し、落胆し、自信を喪失した伝道者

 とはいえ、そのように再びしっかりと立ち上がるためには、少し時間が必要だったようでした。使徒言行録では、「パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた」と報告し(18章4節)、まるですぐさま福音宣教に取りかかったかのようにようですが、それはプリスキラとアキラの夫婦に出会ってからのものとして語ってもいます。そこから想像できることは、おそらくパウロはコリント到着後、すぐに宣教にとりかかったというよりも、そうなるまでに少し時間がかかったということです。おそらくはアテネでの失敗についてあれこれと考えあぐねながら、それではどのように語ったらよいのか、どのように内容を展開していったらよいのかなどと思案に暮れていたのではないでしょうか。このときパウロは一時、自分が語るべき言葉を失ったと考えてよいと思います。コリントの人々の「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきりと示され」るためには、一体どうしたらよいのだろうかと、自分が語るべき言葉ははっきりしていましたが、アテネでの失敗にすっかり意気消沈したまま、再び語り出す言葉を見出そうと、必死になって暗中模索していたのではないでしょうか。アテネでの失敗の経験は、これまでそれなりの成果を収めてきたパウロにとって大きな挫折となり、また大きな精神的打撃となりました。それはまた、この世の人にも語りかける言葉を持つに至ったと思いなしていたパウロにとって、これからの伝道方法の再考を促すものともなりました。それではこれからどのように語るかということで、すっかり自信をなくしてしまったパウロは、しばらくの間はまず天幕造りの仕事に没頭することで、今後の方策について思い巡らしていくのでした。幸い天幕造りの仕事は、静かな仕事場でただ黙々と裁縫を続けるものでしたから、物事を深く考え、沈思黙考するにはうってつけの仕事でした。そこでパウロは、かつてタルソスで十数年間、天幕造りの腕を磨きながらも足踏み状態を続けた時のように、自分の使命と働きについて思いを深めていったのではないでしょうか。


 ただ、かつてのタルソス時代と違う点は、この時のパウロがもう若くはない、むしろ円熟期を迎えたベテランであったということです。若いときの挫折もつらいものですが、それはその後の人生にとっての肥料となり、糧ともなりうるものです。なにより若いうちは、それを乗り越えていこうとする力もあります。しかしこの時のパウロは50歳前後、当時で言えば初老というより、もう老齢者といっていい年齢でした。しかもこれまでの十数年にも及ぶ経験があります。パウロはもはや駆け出しではなくベテランの伝道者であり、若さや経験不足を言い訳にすることは許されない年齢でもありました。円熟してからの挫折、それは若いときの挫折と違い、その人の心を大きく傷つけ、自信を喪失させ、意欲を失わせていくものです。しかもそこから立ち直り、立ち上がっていく力は、若いときのようにはありません。このときパウロがどれほど深く傷つき、自信と意欲を喪失し、挫折感に陥っていたかは、先の「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」という言葉に滲み出ています。パウロは、語る言葉を失っていました。いや自分が語るべき言葉は分かっていました。しかしそれをどのように語ったら良いのか、語るべき仕方を見失ってしまっていました。また自分の使命は分かっていました。自分は異邦人のための使徒であり、異邦人にイエス・キリストの福音を語る使命を与えられているのだと。しかしその異邦人、つまり聖書も知らず、まことの神もわきまえていない彼らに、どのように福音を取りついでいったら良いのでしょうか。ただそのまま語っても躓きだけですが、知恵を尽くして語っても伝わっていきません。どのように語っていったら良いのか・・・、パウロはただただ考え続け、思案するばかりだったのではないでしょうか。


5.パウロに対する主の慰め

 しかしこのようにすっかり意気消沈し、失望かつ落胆してしまったパウロに、主は大きな慰めと励ましを与えられるのでした。それが、このとき以来パウロの強力な助け手となっていくプリスキラとアキラとの出会いでした。最初パウロは、彼らを同じユダヤ人同胞で、仕事上の同業者であったために訪問し、そこの住み込み職人として生活するようにしたのですが、彼らもローマからやって来た同じキリスト者であることが分かると、パウロは大いに励まされ、強められたのではないでしょうか。彼らもキリスト者で、先ごろローマで起きた騒動のゆえに皇帝により追放されて、コリントにやって来たのでした。クラウデゥウスが出したユダヤ人追放令(49年)については、ローマの歴史家スエトニウスなども触れていて、それはおそらくローマ在住のユダヤ人社会の中で、キリストを巡る論争が騒乱となり、一時的にユダヤ人がローマから退去させられることになったものと思われます。このときすっかり自信を喪失し、どのように語ったらよいのか方策も見つからないまま、しかもシラスとテモテもおらず、深い孤独の中に置かれたパウロにとっては、思いもかけず同信の兄弟姉妹と寝食を共にし、共に仕事をすることができるようになったのは、どれほどの慰め、励ましとなったことでしょうか。そこにも、慰めの源である主の計らいがあったことを覚え、勇気を与えられたことでしょう。


 こうして「気落ちした者を力づけてくださる神」(2コリント7章6節)は、意気消沈し、すっかり自信を喪失してしまったパウロのために、あらかじめふさわしい助け手・慰め手を備えておいてくださいました。そしてパウロは、この夫婦の献身的な奉仕によって、これからも大きく励まされ、助けられていくことになるのです。なによりここでパウロは、すっかりとふさぎこんでしまいそうになるところを、信仰の友との交わりと祈りによって慰められ、強められていくのです。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩編133編1節)。「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ」(コヘレト4章9、10節)。自分の困難な戦いのために、兄弟姉妹が共に祈っていてくれている、その祈りの援護を受けながら、この世へと打って出ていくことができる信仰者は何と幸いでしょうか。わたしたちの教会の交わり、お互い同士の交わりが、このような祈りの執り成しによって深められていく、真実な信仰の交わりへと成長していきたいものです。アキラとプリスキラは、福音における同労者として、パウロの困難な働きをこれ以降ずっと、陰日なたになりながら助けていくことになるのでした。


6.強力な助け手

 そしてまさにそこにシラスとテモテがコリントに到着します。再び二人の強力な同労者を得たことで、パウロは大いに助けられることになります。かつてモーセがイスラエルの民をエジプトから連れ出すようにと召し出されたとき、モーセはそれを固く固辞します。すっかり自信を喪失していたモーセにとって、それは自分の力を超えた不可能な事業にしか思えなかったからでした。しかもそれ以上に彼は、自分が弁の立つ人間ではないことを自覚していました。そこでむしろ神に懇願します。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださったいまでもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」と。しかしそれに対して主は「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか」と応じ、さらにこう語ります。「さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう」と。しかしそれでもなお固辞するモーセに、神は、彼の口として彼の代わりに語るアロンを与えることと共に、こう約束します。「わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう」と(出4章10~17節)。また主イエスも、弟子たちが裁判所や会堂に引き出されることがあることを予告しつつ、こう約束してくださいました。「引き渡されるときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」と(マタイ10章19、20節、ルカ12章11、12節)。


 こうしてパウロは、たとえ自分自身が語る言葉を失っているとしても、彼と共に、彼の代わりに語ってくれる同労の働き人を得ることができ、再び福音宣教に専念できるようになります。福音宣教の働きは、自分一人で果たすものではなく、皆との共同作業でした。こうしてコリントでの働きは、シラスとテモテ、それにプリスキラとアキラという強力な助け手を得て、開始されていくことになるのです。使徒言行録は、彼らの到着と共に、パウロの福音宣教が力強く為されていったことを、次のように報告します。「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした」と(使徒18章5節)。ここでパウロが「御言葉を語ることに専念し」たと伝えていることに注意してください。彼ら二人が到着するまでは、天幕造りをしながら、つまりテサロニケのときと同様自給伝道をしていたのです。しかしそれが伝道に専念できるようになったというのは、おそらく二人がフィリピ教会からの献金を持参してきたからでした。こうしてパウロは経済的に助けられることになりましたが、なによりもフィリピの教会の人々の、主を思い、パウロを思う心にも大きく励まされ、また力づけられたのではないでしょうか。こうしてパウロは、「安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努め」ていくことになるのです。


7.「わたしはあなたと共にいる」との約束

 しかしここで自信を喪失し、自分の使命を見失い、語る言葉を喪失したパウロを、本当に立ち直らせるものとなったのは、主ご自身の言葉でした。ここでもユダヤ人からの激しい迫害に直面しながら、そこでもなお堅く立ち、揺るぎなく福音宣教に邁進することができるようになっていったのは、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いる」と主が励ましてくださったからでした。語る言葉を失い、迷い苦しんでいたパウロにとって、この言葉はどれほど強い励ましとなったことでしょうか。主が共にいてくださるのです。たとえどんな危機に直面することがあっても、そこにも主は必ず共にいて、助けてくださいます。その危機とは、何も外的なものとは限りません。ユダヤ人の迫害や異邦人の反対、同労の伝道者からの嫌がらせや敵意、そうしたことがパウロの心を挫きました。しかしそれ以上にわたしたちは、内面的な危機にも直面します。自分の弱さ、自分の無力さ、自分の愚かさに、もうどうにも立ちいかなくなり立ち往生してしまうこともあります。深い挫折の中で、しゃがみこんでしまうこともあります。しかしまさにそのような挫折のただ中にも、「わたしがあなたと共にいる」と約束してくださるのです。そのような内面的危機と共に、そこで立ちすくみ、へたりこんでしまう、そのあなたとも共に主はいてくださるのです。「わたしが」と約束されます。「わたしだ、このわたしこそが」と言われるのです。他の誰でもない、この主イエスこそが、まさにそこで弱り果てたわたし自身の傍らに寄り添い、共にいて、立ち上がらせていってくださるのです。


 自分は口べただから、とてもできないと固辞するモーセに、神は約束してくださいました。「わたしは必ずあなたと共にいる」と。そして「このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」と(出3章12節)。そして事実主は、この約束を果たし続けてくださっただけではなく、この約束は次の指導者ヨシュアへと引き継がれていきます。モーセはヨシュアに語りました。「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。主ご自身があなたに先立って行き、主ご自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない」と(申命記31章6、8節)。そしてこのモーセの死後、今度は主ご自身がヨシュアに約束されます。「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない、強く、雄々しくあれ。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行っても、あなたの神、主は共にいる」と(ヨシュア1章5、6、9節)。同じ主が、アブラハムの子孫であるわたしたちにも約束してくださるのです。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしはあなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」と(創世記28章15節)。「わたしはあなたと共にいる」、この約束だけが、弱り果て、立ちすくみ、倒れ伏すわたしたちを真実に立ち上がらせていくものとなります。そしてパウロはこの主の約束によって立ち直ることができたのでした。


8.伝道の実りの約束

 しかもここではそればかりか、彼の語る福音に応じる民が、必ずいるとも約束されていきます。実りが見出せないとき、伝道者は意気消沈し、落胆し、自信を喪失します。伝道者といえでも人間ですから、気力を失い、語る言葉を喪失することもあります。そんなもろさ、弱さをもつ人間を知る主は、ご自身の器として立てた者たちに、その時その時にふわさしい励ましと慰めを与えて、彼らを助けてくださるのです。パウロを遡ること九百年前、預言者エリヤにも主は同じことをされました。バアルとの対決においては、華々しい成果を収めたエリヤでしたが、その自分の働きが一瞬にして費え去ってしまったことで、エリヤはひどく失望し、落胆して、ついには死を望みます。しかしそのエリヤに神がされたことは、まず疲れた心と体を十分に休ませるということでした。それによって元気を回復したエリヤに神は再び預言者として召し出し、彼に新たな使命を与えられます。そのとき神は、弱り果て、心挫けたエリヤの許に臨在し、会ってくださったのでした。そこで彼が「わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています」と神が訴えると、それに対して神は、「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である」(列王上19章18節)と約束されるのでした。一人ではない、神が共についていてくださる。それだけではなく、共に戦う信仰の友をも必ず備えていてくださるのだと。そしてまた自分の働きが決して無意味に終わらないで、必ずそこに成果が与えられ、実りが残されることが約束されていくのです。その同じ主が、ここでパウロにも、「わたしがあなたと共にいる。この町には、わたしの民が大勢いる」と力強く約束し、励ましてくださるのでした。


 伝道者とは誰のことでしょうか。使徒や特別な職務につけられた人たちのことでしょうか。いいえ、わたしたちです。わたしたちも一人一人が、この世へと家庭へと神から遣わされている伝道者です。パウロも「天幕造り」だったことを忘れないでください。それはパウロが、普段の日常の生活の中で、手仕事をしながら伝道したということです。パウロが福音を語ったのは、会堂や町の広場ばかりではありませんでした。生計を建てるために働いていた、その仕事場においてでした。仕事場で体をかがめながら天幕を縫い合わせている作業の間、店にやって来るお客と応対しながら、福音を語ったのです。天幕に使う布地や糸、その他必要な物品を購入するために行った市場や店先でも、出来上がった天幕を持参した顧客の許においても、パウロはあらゆる機会を用いて福音を語り続けていきました。パウロは、自分が「生きる」という人生の全体をもって、伝道に励んでいったのです。わたしたちも同じです。言葉で語らずとも、「キリストの香り」を放つ生き方と、福音を飾る生活において、毎日主を証ししています。家族に対して、そして毎日自分が出会う様々な人々に対してです。しかしその中でわたしたちは時々、自分がどのように語ったらよいか、どのように証しを立てていったらよいか、思い悩むことがあります。自分の証しはきちんと成り立っていないのではないかと苦しむこともあります。しかしわたしたちの主は、そのようなとき「何をどう言い訳しようか。何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」(ルカ12章11、12節)と約束してくださいました。そして同じ主が、それでもなお意気消沈し、落胆するわたしたちに呼びかけられるのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」と。


9.主がわたしの内で働かれるための訓練

 こうして主の励ましに支えられたパウロは、コリントでは大きな成果を生み出すことができます。この町に一年半の長きに渡って滞在したパウロは、後に少なくとも四通もの手紙を書き送ることになる大きな教会を残していくのでした。そこでは、ティティオ・ユストという異邦人改宗者はもとより、会堂長のクリスポとその一家を洗礼に導いた(1コリント1章14節)のみならず、この後パウロと伝道旅行を同行するガイオ(使徒19章29節)、ステファナの家族をも信仰に導きます。さらにはここで騒動に巻き込まれるもう一人の会堂長ソステネ(使徒18章17節)も、信仰に導かれますし(1コリント1章1節)、それ以外にも「コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた」使徒18章8節)のでした。しかしこうしたコリントの成功は、アテネでの失敗と挫折があってこその働きでした。自分の働きが知恵を尽くしてもうまくできないとき、わたしたちはもう一度自分の失敗を省みて、祈らせられます。そしてこの挫折と内省の経験こそが、わたしたちを成長させていくのです。そのことによってわたしたちは、自分の働きが自分自身の力と知恵に基づくものではなくて、主ご自身の助けと働きによることを、このような挫折と失敗によって深く学ばされていくからです。そしてわたしたちを、真実に主に依り頼んで奉仕する者、主の働きに委ねて働く者へと変えられていくのです。このように主がわたしたちの働きを時として失敗と挫折によって、「中断」されるのは、「生涯のすべての日において、わたしが自分の邪悪な行いを休み、わたしの内で御霊を通して主に働いていただ」くようになるためなのです(『ハイデルベルク教理問答』問103)。


 こうしてアテネでの深い挫折は、既に伝道に習熟し、熟達したといっていいベテラン伝道者パウロを、再び変え、大きく成長させていく契機となりました。自分の働きを、「こなれた」仕方で行っていくうちに、わたしたちは次第にいつのまにか、自分の力と知恵と経験で、自分の働きを「こなしていく」ようになっていきます。大きな失敗をすることもなく、そこそこの働きができるようになるにつれて、わたしたちは自分の働きの本当の出所、本来の力の源を見失い、まるで自分でそれを果たすことができるかの錯覚に捕らわれてしまいます。奉仕の世界においては、ベテランになることほど危険なことはありません。ある程度習熟し、慣れてしまうことほど危険なことはありません。知らないうちに、主に依り頼まなくなってしまうからです。そしてほどなく、とてつもなく大きな失敗をしてしまう結果を招くようになるのです。また、主に依り頼まなくても、つまり祈らなくても、そこそこの働きができるようになるにつれて、次第にわたしたちは高慢になっていきます。もしアテネでパウロが人々から好評を博し、大成功を収めていたら、パウロはその成功に満足し、高慢になってしまったかもしれません。ですからここでパウロが失敗したこと、挫折したことも、実は主の憐れみだったということができます。アテネでの失敗を経てからのパウロは、見違えるほどさらに大きく成長していきます。ここでのパウロの働きの成功の秘訣は、自分の働きを、ただ主イエスご自身に依り頼んで果たしていったことにありました。そしてどれほど大きな実りを結んだとしても、それで驕り高ぶることなく、自己満足することもありませんでした。自分ではなく、しかし自分によって主が生きて働き、その実りを結ばせてくださったと心から知ることができたからです。このコリントの教会に宛てた手紙の中で、パウロは「わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」と爽やかに言い切ることができました(1コリント15章10節)。そして真実に主に依り頼んでの伝道の働きは、これまで同様にユダヤ人からの激しい反対と妨害に遭ってもなお、継続することができるものとなりました。これまでの町では、妨害によってただちにそこを退去しなければなりませんでしたが、ここコリントでも同じような困難と妨害に遭いながら、一年半も働き続けることができたのであり、それによってさらに豊かな実を残していくことができていったのでした。


 そしてこのアテネでの失敗と挫折は、さらにパウロに、自分の使命を再び明確にさせることにもなりました。パウロは自分が語り告げるべきことは、人々が喜んで聞きたがるような「この世の知恵」ではなくて、「十字架につけられたキリスト」(1コリント1章23節、2章2節)に他ならないことを理解しました。そしてこれ以降のパウロは臆することなく、ただ「十字架につけられたキリスト」のみを大胆に語り仕える福音の勇者とされていきます。まことの「神の知恵」であり、わたしたちのために「義と聖と贖いとなられた」(同1章30節)キリストをこそ、パウロは命を賭けて宣べ伝える者となっていくのです。