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第33課 自分の役割を果たすことで主の働きを担っていく

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第33課:自分の役割を果たすことで主の働きを担っていく(使徒言行録16章11~40節、2011年11月27日)


《今週のメッセージ:自分の役割を果たすことで主の働きを担う(ローマ12章6~7節)》

 パウロを助けた働き人たちは、それぞれに自分の役割を果たし、自分に委ねられた務めを担っていくことで、一つの働きを献げていきました。フィリピ教会は、シラス、テモテ、ルカのように直接パウロの伝道にたずさわったわけではありませんが、困窮するパウロを経済的にも精神的に支援することで、物心両面にわたってパウロを支えていきました。そしてそのことで、彼らはパウロの働きに参与していきました。誰かが直接の働きを

するなら、誰かがそれを支援する必要があり、そのどちらも大切な働きです。自分も直接の働きがしたいと全員が出てしまったら、その働きそのものが成り立ちません。誰かが彼らを支える必要があるからで、そうした自分の役割をわきまえて、自分が果たすべき務めを果たすことで、一つの主の御業が前進していきます。それは教会を建て上げていくことにおいても同じです。わたしたちが今この教会に集っているのは、それぞれに果たすべき、この教会での各自の務めがあり、働きがあるからです。そこではあなた自身がつくべき自分の部署があり、役割があります。そこでは自分がどのような位置を占め、どのような役割を担い、どのような務めを果たしていくかを知り、そのために働いていくことが大切です。


1.フィリピに生まれた教会

 お話しするのも恥ずかしいほどの微々たるものではありますが、海外で宣教している幾人かの宣教師や将来の大きな働きに備えて勉強している若い先生などに、わずかばかりの支援をさせていただいています。支援と言えるほどのことでもありませんが、それでもそうした献金をさせていただくことで、そうした先生がたの働きを覚えて祈ることができますし、送られるニュースレターなどを読むことで、これらの先生がたのご労苦を覚えると共に、しかしそこで確かに生きて働いておられる主の御業を見せていただく中で、とても励まされたりします。東日本大震災もそうですが、自分自身が出て行って奉仕することも大切ですが、そこまでできない現実の中にあってもできる奉仕がある、それが現場で働いてくださっている方がたを経済的にあるいは精神的に支援するということです。具体的には献金し、祈るということですが、それによってわたしたちは、そうした働きに自分自身も関与し、あずかることができます。そしてそれも立派な奉仕であり、素晴らしい祝福をいただくものとなります。自分が直接、その働きにたずさわるわけではないとしても、そのために奉仕している働き人を祈り支えることで、同じように参与し、関わることができる、そうした奉仕もあることを、覚えたいと思います。ここに登場するリディアとフィリピ教会は、まさしくそのような教会でした。


 アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられて、フリギア・ガラテヤ地方を通って行ったパウロは、「ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」ので、「ミシア地方を通ってトロアスに下っ」ていき、その夜、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と懇願する幻を見ます。そしてそこで神が自分たちをマケドニアへと導いておられることを確信して、ただちにマケドニアへと渡ったパウロが、最初に着いた地がフィリピでした。ところがそこは「マケドニア州第一区の都市」であるにもかかわらず、ユダヤ人が少なく、会堂もありませんでした。会堂がなければ、これまでのように会堂を足がかりとした伝道もできず、聖書に多少なりとも接している人たちを相手にするのではない、純然たる異教の地です。しかもそこは「ローマの植民都市」として、ローマ人風に生活することを誇りとしており、そのため彼らは「ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝して」いる廉で訴えられることになります(使徒16章21節)。このフィリピで、パウロは、唯一の神を知らず多神教の世界に生きる異邦人を相手に、これまでとは勝手の違う伝道と文化摩擦を強いられることになりました。まず始めたのは、会堂がない場合の「祈りの場所」を探すことでした。離散のユダヤ人は、故郷を思って祈るとき、川辺や海辺に集まる習慣があったようです(「バビロンの流れのほとりに座り」詩編137編1節、エゼキエル1章1節、3章15節)。また沐浴をする関係もあって、それは水の流れのそばにあることが多かったようでした。町の西方を流れるガンギテス川のほとりで、それを見出したパウロは、そこに「集まっていた婦人たちに話をし」、福音を語っていきます(使徒16章13節)。そしてその中の一人であったリディアが、「パウロの話を注意深く聞」き、信仰に至ります。彼女はティアティラ出身の紫布を商う人で、「神をあがめる」人、つまりユダヤ教への同調者である異邦人でした(同14節)。しかしすでに聖書の素養があり、まことの神への信仰に生きていた彼女は、イエス・キリストの福音を素直に受け入れて「主を信じる者」となり、一家をあげて洗礼を受けます(同15節)。当時、「紫」は高貴な身分にしか許されない色だったので、紫布とは高価な高級品であり、それを商う彼女は裕福であったことが想像できます。実際、彼女の家は、パウロたちの宿泊場所となり、またここで誕生するフィリピの教会も、彼女の家が会場であったことが予想できます(同40節)。


 次に出会ったのは、「占いの霊に取りつかれている女奴隷」でした(同16節)。彼女に取りついていた悪霊は、パウロの後にくっついて伝道の妨害をします。たまりかねたパウロによって追い出されますが、それがためにパウロとシラスは当局に訴えられて逮捕され、鞭打たれ、投獄されてしまい、まんまと悪霊の思うつぼとなります(同17~24節)。しかしパウロによって悪霊から解放された彼女も、おそらくは主イエスを信じる者として、フィリピ教会の一員になったと想像することができます。その次に出会うのは、高官(政務官)たちから「厳重に見張る」ことを命令されて、パウロとシラスを「いちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめ」た看守(看守長)です(同23、24節)。この看守長も、大地震と共に自分の人生のただ中で起きた大激震によって、主イエスへの信仰に導かれ、家族をあげて洗礼を受けるに至ります(同25~34節)。自分を悪霊から解放してくれたことで、パウロたちが逮捕され、処罰がくだされるのを見た女奴隷は、パウロたちの苦難をどのように思ったでしょうか。また自分を信仰へと導いてくれたパウロたちが、このような理不尽な目に合わされることに接したリディアとその家族は、どのように思ったでしょうか。そしてまた、このような理不尽名扱いを受けながら、暴言、讒言、喚き、呪い、叫び、愚痴といったことではなく、鞭打ちによる激しい身体的な痛みと足枷による不自由さにもかかわらず、「賛美の歌をうたって神に祈って」いたパウロたちを見たとき、命令とはいえ、彼らに対して酷い仕打ちをした看守長は、どのように思ったでしょうか。この大地震で、「牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」ことを知った看守長は、囚人たちが逃げてしまった」ものと思い込み、これで自分の人生も終りかと覚悟を決めて、「剣を抜いて自殺しようとした」のでした(同26~28節)。ところが「皆ここにいる」と、当然逃げたと思った囚人たちが、すべてそのまま留まっていたことを知り、体が震えるほどの衝撃を受けます。そしてこのような事態の中でも確信と平安に満ちた、平静なパウロの姿に接して、彼は思わず彼の前に膝まずき、「救われるためにはどうすべきでしょうか」と問います。彼には自分にはない、何かがあることを悟った看守長は、パウロが「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」との言葉を即座に受け入れ、家族共々洗礼を受けて「神を信じる者」となります。


2.苦難を共にする中で結ばれた絆

 こうしてパウロたちさえ思いもよらない仕方で福音が宣教され、教会が設立されたフィリピの教会は、会場を提供したリディアとその一家、占いの霊から解放された女奴隷、そしてパウロたちを苦しめた看守長とその一家という、身分も立場も貧富も何もかも違う人々によって構成される教会として出発することになるのでした。リディアの家で始められた小さな教会、それがヨーロッパ最初の教会でした。今でこそ、ヨーロッパを旅行すれば、町々村々に至るまで教会が立ち並び、大きな都市では巨大なカテドラル、大伽藍に圧倒されるほど、キリスト教が浸透しているのを目の当たりにすることができますが、それは本当に小さな始まりからでした。しかもその発端は、「わたしを主を信じる者とお思いでしたら」という、リディアの一言からでした。主によって救われた喜びをフィリピの人々に伝えたい、そのために自分の家を献げ、自分の持てるものを献げて、パウロの福音宣教を助けていった小さな家の教会、しかしここで誕生した教会は、これからのパウロの働きをいつも助けていく、パウロにとって本当に心休まる教会として、成長を続けていくことになるのです。その発端は、「私を主を信じる者とお思いでしたら」という、リディアの小さな一言と、しかし自分を主に献げていったリディアの心からでした。


 さて、しかしここフィリピでパウロが遭遇した苦難が決してたやすいものではなかったことは、この少し後にコリントに行ってから書いた「テサロニケの信徒への手紙 一」の中に記されています。「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語った」と(1テサロニケ2章2節)。それは迫害に慣れていたパウロにとっても「激しい苦闘」と言わざるを得ないほどの苦しみだったのでした。しかしこのような苦しみの中から生み出された教会は、これからずっとパウロを支え続け、助け続け、励まし続けていくことになります。このテサロニケでパウロは、「だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝え」(同2章9節)、彼らに対する模範を示したわけですが(2テサロニケ3章7~9節)、それはまさにフィリピの教会からの献金があったからでした。「わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、物のやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました」と語ります(フィリピ4章15、16節)。


 そしてそれはこのときだけではなく、これ以降も続けられていきました。フィリピ教会宛ての手紙を書いている時、パウロは投獄されて物心共に困窮していました(同1章13節)。このパウロの困窮を知ったフィリピ教会は、経済援助をするために援助物資と共にパウロの身辺の世話をさせるために、エパフロディトを送ります(同2章25節、4章18節)。迫害と投獄という外的苦難だけではなく、福音の同労者による敵意と争いという内的苦難にも直面していたパウロにとって(同1章15~17節)、どれほど大きな慰めと励ましとなったことでしょうか。彼らは裕福だったからそのように支援したわけではありませんでした。コリントの教会とアカイア州の諸教会に対して、パウロはフィリピの教会を含めたマケドニア州の教会について、次のように語りました。「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げた」と(2コリント8章1~5節)。


 しかしこうした経済的・物質的支援という実際的な援助もさることながら、なにより孤軍奮闘しているパウロを理解し、励まし、助けようとする彼らの思いに、彼は大きな力を得たに違いありません。ですからパウロは彼らに対して、「あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」(同1章30節)、また「それにしても、あなたがたはよくわたしと苦しみを

共にしてくれました」(同4章13節)と語るのでした。身体的・物理的には離れていても、フィリピの教会は、遠い地で福音宣教に励み、またそのために迫害と投獄の苦難の中にあるパウロを励まし、支え、助けていく教会として、いつもパウロに寄り添い、そこでの戦いを共にしていったのでした。外からの迫害だけではなく、同じ福音の宣教者からの敵意や自分が生み出した教会の離反と反目にも苦しめられていたパウロにとって、この

フィリピの教会の存在と支援とはどれほど大きな慰めと励ましとなったことでしょうか。そこでパウロは彼らのことを、「わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち」と呼びかけることができたのでした(同4章1節)。そしてこのような絆は、まさに彼らがパウロと「苦しみを共にし」、また「同じ戦いを戦った」ことによるものなのでした。そしてこの主にある絆を基いとして、フィリピの教会

は、パウロの福音宣教という働きを、経済的に、物質的に、そして人材的に支援していくことで、それを共に担っていくのでした。彼らは直接パウロと共に福音宣教したわけではなく、その関わりは間接的でした。テモテやシラスのように、自分たちも直接パウロの働きを共同と果たしたということではありませんでした。しかし彼らは経済的・物質的・人材的支援をすることで、パウロの福音宣教に関わっていき、それを共に担っていきました。それはパウロにとって、「同じ戦いを戦った」に等しいことであり、まさにそのような後方支援が、パウロを直接的に支えていくものとなりました。このように、自分が直接その働きにたずさわるわけではなくても、そのために奉仕している働き人を祈り支えることで、同じように参与し、関わることができるのです。違う言い方をすれば「役割分担」ということです。どんなに福音宣教をしたいと願ったとしても、全員が伝道者になってしまったら、その働きは立ち行かなくなってしまいます。伝道者が宣教に専念できるように、彼らを背後から支援する人たちも必要です。パウロ、シラス、テモテの働きは、聖書に名前を残すことさえなかった、無数の無名のキリスト者たちによる物心両面での支援があったからこそ、成り立っていったのであり、また豊かな実を結ぶものともなっていきました。一方では直接奉仕する人が必要ですが、他方ではそうした人々を支援する人も必要で、そうしてそれぞれが自分の役割をわきまえて、自分の務めを忠実に果たしていくとき、一つの業を主に献げていくことができるのです。そしてこのことは、わたしたちの福音宣教と教会形成という働きにおいても、同じではないでしょうか。


3.与えられた賜物が生かされる場としての教会

 これまでの礼拝において、半日修養会に照準を当てて賜物について考えてきました。10月2日にはテモテを通して「自分の仕事」ではなく「主の仕事」を果たすことについて、10月16日には金子みすゞの詩を通して、「自分の分」を果たすことについて、11月13日の召天者記念礼拝では、それぞれが「自分の召し」を与えられており、その「召し」を果たすために委ねられたのが賜物であること、だから賜物というのは各自が持っている才能や能力のことではなくて、むしろそれを主のために生かし、相互のために用いていくべきものであることについて考えていきました。それは教会を建て上げることのために、主から委ねられ預けられたものであって、自分自身のために浪費すべきものではないことを考えたわけです。ここではフィリピの教会の働きを通して、それぞれに委ねられている賜物をどのように生かし、用いていくかについて、さらに深く考えていきたいと思います。そのためにもう一度これまで考えてきたことを、簡単に振り返っていきましょう。これまでシラス、テモテ、ルカといった奉仕者を見てきたわけですが、彼らを見て気づかされることは、それぞれが自分の分をわきまえて、自分の役割を果たし、自分に委ねられた務めを担っていったということでした。そしてそれは彼らだけではなく、このフィリピの教会、ひいてはマケドニア州の諸教会も同じで、これらの教会も、困難の中でなお自分たちができることを担い、果たしていきました。そうしてそれぞれが自分に与えられた役割を果たし、委ねられた働きを果たすことで、福音宣教が進展していき、一つの教会が建て上げられていきました。シラス、テモテ、ルカ、そしてここに登場したリディアは、それぞれに「自分の分」をわきまえて、主が自分に与えてくださった務めを果たし、自分の役割を担っていきました。このように奉仕とは、自分に与えられた役割を果たし、自分に委ねられた務めを担っていくということです。そしてそのために、わたしたちはそれにふさわしい賜物を預けられましたが、それはそうした「自分の務め」あるいは「自分の役割」を果たすためであり、そのようにわたしたちは主によって召されているのです。それはそれぞれの力と才能を生かし合いつつ、それによって足りないところを補い合いながら、主の教会を建てていくということであり、そこでは自分がどのような位置を占め、どのような役割を担い、どのような務めを果たしていくかを知り、そのために自分を献げていくことが大切です。そこでは自分が向いているかどうかとか、自分はやりたいとかやりたくないとか、自分にできるかどうかといったことは問題になりません。なぜならその務めは、わたしたちを主が遣わし、主が立て、主が委ねてくださったことだからです。


 これまで賜物について考えてきました。そして賜物とは、個々人一人一人に与えられた才能や実力、個性や魅力といったもののことである以上に、それがどのように生かされ、用いられているかが大切であることを考えました。しかしある人がどれほど素晴らしい才能を持っていたとしても、それを生かす場がなければ、その人は生かされず、用いられていきません。つまり賜物というのは、それぞれが自分自身に与えられた才能や実力、個性や魅力ということばかりではなくて、それが豊かに生かされる場、それが用いられるために自分に委ねられる場所、あるいは任せられた役割ということでもあるのです。ある人の才能や実力は、それを生かされる場を与えられて開花していき、用いられる役割を果たす中でさらに伸ばされていくものでもあります。賜物とは、それが生かされる場や用いられる役割のことでもあり、またそれを含めて賜物と言うことができるのです。テモテはパウロの片腕として豊かに用いられました。そしてそれはそれを果たすだけの力を神から与えられていたからでもありますが、しかしこのようにテモテが用いられたのは、パウロと出会ったことによってでもありました。パウロが彼の才能を見出し、豊かに用いていったその中で彼はその才能を開花させ、伸ばしていくことができました。パウロとの出会いがなければ、彼がこのように用いられ、彼の才能が生かされることはなかったかもしれません。このように自分の才能を見出し、それを豊かに活用してくれる人との出会いは大きなもので、そのような出会いや機会に恵まれることも賜物だと言うこともできます。このような出会いの中で、自分が豊かに用いられるための場を与えられ、自分が生かされていく務めを委ねられていき、そうして自分の役割を果たしていく機会を与えられることになります。そしてそこで自分が用いられていく中で、自分の才能がますます磨かれ、伸ばされていくことになるのです。それは教会の中での自分の位置づけであり、責任の部署、働きの場のことではないでしょうか。


4.賜物とは、自分が果たすように委ねられた務めと働き、果たすべき役割のこと

 あなたはそれをお持ちでしょうか。あなたがこの教会にいるということは、何らかの働きがあなたに求められているということであり、何らかの役割があなたに期待されているということです。あなたでなければできない働きがあり、あなたが担わなければ埋められない部署があるから、あなたはこの教会に招かれているのです。あなたが必要だから、この教会にいるのであって、あなたが果たすべき役割と責任があるのです。11月13日の召天者記念礼拝でお話ししたとおり、わたしたちが未だ地上にいるのは、この地上での働きがあるからです。ここでの務めがあるから、地上で生かされています。しかし今度は天での働きが委ねられます。そのとき、わたしたちは天からの召しを受け、招きをいただいて、今度は天の教会へと凱旋していくのです。しかし今はまだ地上での務めと働きがある、だから地上に生かされています。その地上での働きのために、自分に委ねられた務

め、この教会での役割がある、それは何かを見出しているでしょうか。そして自分の居るべき場所にいて、その部署につき、そこでの責任を果たしているでしょうか。この教会には自分には居場所がない、果たす役割がないということはありません。あなたが果たすべき責任はあります。そしてそれぞれの奉仕を担っていくために与えられたもの、それが賜物です。ですから賜物とは、教会を建て上げていくために神から委ねられたものであって、自分のためのものではなく、「全体の益」となるために授けられたものでした(1コリント12章7節)。だからそれは教会を建て上げていくためにこそ用いられるべきで、そのように用いられていかないのであれば、それは賜物とは言えません。主が自分に与えてくださった務めを果たし、教会の中での自分の役割を担っていくこと、それが奉仕であり、そのように用いられていって、初めてそのための才能や実力を賜物と言うのです。


 そこではそうした自分の才能や実力だけではなくて、自分自身が成長させられていき、自分が磨かれ、訓練されていって、さらにもっと用いられるようになっていきます。このように賜物とは、教会という共同体の中での自分の位置のことであり、役割のことです。自分に委ねられた賜物を「自分のため」にではなく「主のため」に用い、「自分のもの」としてではなく「主のもの」として献げていくとき、そうした才能は真実の意味で賜物とされます。なぜなら賜物とは、主から与えられるということであって、ですから「自分のもの」ではなく、本来「主のもの」であり、だから「自分のため」にではなく、「神のため」に用いるべきもの、そしてそれは、主の教会のために用いられていくべきものだからです。そのように自分自身を献げていくことで、主によって豊かに用いられていく中で、わたしたちはますます磨きをかけられていき、真実に役に立つ働き人として整えられていくのです。そしてそうした機会がさらに与えられる中で、いよいよ生かされていき、ますます用いられていくようになるのです。こうしたことの全体を賜物というのです。


5.小さなことにこそ忠実である奉仕者に

 そもそも奉仕とは、わたしたちが主のために何かを果たすということである以前に、主がわたしたちを用いられることです。そこで主がわたしたちをどのように用いられるか、そこでどのような役割を担わせ、どのような働きをさせていくかは、主がお決めになることです。そこで主が求められることを忠実に果たすこと、それが奉仕であり、そのために自分を献げていくことこそが奉仕です。そこで主が願われることを実現していき、求められることを果たしていく、そしてそのために自分自身を主に委ねていくことこそが奉仕なのです。ですからたとえそれが、ときには自分がやりたいとは思わないことであったとしても、また自分の力に余ると思われる働きであったとしても、あるいは自分には向いていないようにさえ思うことであったとしても、それを主が自分に委ねられるのであれば、喜んで担っていくのです。そのために必要な賜物は、必ず与えられるからです。しかしまた、たとえそれが誰にでもできるような、ごくささいなことであったとしても、それを軽んじるのではなく、あるいは自分の才能や実力が生かされていないと嘆いて放棄するのでもなく、たとえどんなに小さな働きであったとしても、それを忠実に果たしていくことが奉仕です。その中には自分の賜物が生かされていかない、あるいは自分の実力が評価されていない、そうして自分自身が用いられていないと思うようなことさえあるかもしれません。しかしたとえそうであったとしても、それを喜んで担っていくことが奉仕であり、そこで自分に委ねられた務めをしっかりと果たしていくことが奉仕なのです。誰でもできるような小さな働きを軽んじることなく、きちんと担い、忠実に果たしていくことが奉仕です。なぜなら主は、小さな働きを忠実に果たす忠実な僕にこそ、大きな働きを任せていかれる方だからです。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」と主は語られました(ルカ16章10節)。


 わたしは教会のトイレを使う機会は余りありませんが、トイレを使って、手を拭くたびに、このトイレをきれいに掃除し、このタオルを洗濯して、ここに掛けてくださった姉妹たちに、祝福がありますようにと祈りつつ、感謝します。今日も週報が手許にあります。それは青年や礼拝委員会のどなたかが土曜日にわざわざ教会に来て、印刷してくださったからです。この礼拝で心から賛美できるように、忙しい中にあってもプロジェクターの原稿を毎週欠かさず準備してくださる方がいる、だからそれによって今日の礼拝も滞ることなく、こうして守られていきます。当たり前のことでしょうか。誰かが見えないところで時間を献げ、労力を割いて、奉仕してくださったから、今日も稲毛海岸教会が建て上げられているのです。こうして一人一人の働きが一つとされて、教会は建て上げられ、神の国は前進していくのです。そこでは一人一人が自分に委ねられた務めをどれだけ忠実か、自分に任せられた働きにどれだけ熱心かが求められます。それをあなたが果たさなかったら、誰も果たす人はいません。教会は、いや教会の頭である主は、あなたを必要としているし、あなたの働きを求めておられるのです。あなたもぜひ、ご自分に委ねられた務めを見出し、それを忠実に担い、果たしていっていただきたいと願います。そのとき、主の教会は建て上げられていくのであり、そのためにはあなたを必要としているのです。賜物とは、教会という共同体の中での自分の位置のことであり、役割のことです。そしてそのように自分自身を献げていき、主によって豊かに用いられていく中で、わたしたちはますます磨きをかけられていき、真実に役に立つ働き人として整えられていくのです。主がわたしたち一人一人に担わせてくださった「自分の働き、自分の務め、自分の役割」をしっかり担い、果たしていく者でありたいと願います。


 フィリピの教会はヨーロッパで最初に建てられた教会ですが、それは一人の女性リディアの家で始められました。リディアの家の教会、しかしその教会は、パウロの伝道を支援することで、さらに他の教会を生み出す教会となっていきました。そしてこの教会が、ヨーロッパ中に広がる伝道の端緒となりました。その発端となったのは、「私を主を信じる者とお思いでしたら」というリディアの一言でした。「私を主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、私の家にお泊りください」。同じように自分を献げ、奉仕へと自分を委ねていく方はおられないでしょうか。わたしたちもリディアと共に、「私を主を信じる者とお思いでしたら」と自分を献げていきたいと思います。